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全日本ろうあ連盟スポーツ委員会による和訳(2010/01/22 掲載)

ICSD eNews 和訳版 2009年11月号

  (ICSDウェブサイトの原文)

目次(一部)

追悼:チョウ・クォトゥン氏 (1939-2009)

〜チョウ・クォトゥン氏の思い出に〜
国際ろう者スポーツ委員会 前会長 ドナルダ・アモンズ

愛する友であった、チョウ・クォトゥン氏の追悼文を書く依頼をいただき、心より誇りに思っています。彼はほんの数週間前、突然私たちのもとから去って行ってしまいました。彼の故郷で開催され、開会式では、自らの手で聖火の点灯をした、第21回夏季デフリンピックが幕を閉じてから間もなくのことです。「過去最高のデフリンピック」を、自らの目で見ることが出来て、非常に喜んでいたに違いありません。彼は心から満足していました。

私とチョウ氏とのつながりは1991年、カナダのバンフで開催された、ICSD評議員会に、彼がチャイニーズ・タイペイろう者スポーツ協会(CTSAD)の代表として出席した時に始まります。その時点では、CTSADはICSDの会員ではなく、代表者の多くは、チャイニーズ・タイペイが、地図上のどこにあるのかも知りませんでした。CTSADが会員となる承認投票を評議員会で得るにあたり、生まれながらの教師であるチョウ氏は、自身の国について、チャイニーズ・タイペイのろう者のコミュニティについて、すばらしいプレゼンテーションを行いました。その結果、CTSADの申請は即座に承認されました。まだ新しいろう者スポーツ連盟が、わずかの間に国際大会をホストするまでに至るのは驚くべきことです。まさに、チョウ氏のすばらしいリーダーシップと指導によって可能となったことでした。

チョウ氏は、多くの人々の人生をよりよいものにしていこうという、固い決意と才能を持った人でした。アジアを広く旅し、いまだ表に出る機会のないろう者たちを、数多く支援しました。彼はまた、よき友でもあった人でした。つまり、必要とされる時に必ずそばにいてくれる、そうした意味の友ということです。彼を知る人は、皆きっと分かるでしょう。それに、あのユーモアのセンスを失ったことは残念でなりません。皆のことを、最後は涙が出るほど笑わせるのでした。

チョウ氏の姿を、これからのろう者スポーツ大会で見ることが出来ないのは、本当にさびしいことです。私たちは、彼を忘れることはないでしょう。それに、皆が泣くのを見るのは、彼が望まないはずです。すべての人を楽しませたいと思っていたはずです。彼がいかに、私たちの生き方に影響を与えたか、思い出してみましょう。チョウ・クォトゥン氏のような人物と知り合えたことを、感謝せずにはいられないはずです。

どうぞ彼が安らかに眠りにつかれますように。そして、彼がチャイニーズ・タイペイとアジア、そして世界へ残した遺産が、未来の世代へと引き継がれますように。