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全日本ろうあ連盟スポーツ委員会による和訳(2009/06/12 掲載)

ICSD eNews 和訳版 2009年05月号

  (ICSDウェブサイトの原文)

目次(一部)

技術委員からのメッセージ:スノーボード

ヨーロッパでのスノーボード設計

ヨーロッパ初のスケートボーダーたちが、新たな形のボードを試み始めたのと同じ頃、マイケルとハラルド・ストランク兄弟が、伝説的「スウィング・ボー01」を開発しました。このスウィング・ボー01は、中央部分を厚くした2本のショートスキーの板をスケートボード技術で接合したものでした。これに、ノン・スリップの表面材が貼られ、バインディングの二つのわが装着されました。スウィング・ボーは、ボード上で体重を移動させることで、スキーを回し、操縦します。スタントスキーヤーのファジー・ガーハマー(Fuzzy Garhammer)の支援による宣伝活動と国際見本市などでのプレゼンテーションの結果、「スウィング・ボー」は、ヨーロッパで人気のスポーツとなりました。1985年には、初のスウィング・ボーの教科課程が出来ました。

その後何年かの間、ヨーロッパの「スノー・サーファー」として知られるようになったファジー・ガーハマーは、スウィング・ボーをより一層発展させ、1987年には、初のドイツ選手権を開催しました。80年代半ばから、スノーボードの人気はヨーロッパとアメリカで急速に広がりました。スチール製のエッジとプラスティックでコーティングされたハイバック・ピールボンド型が市場に登場し、徐々に、しかし確実に、スナーファーを押さえ込んでいきました。1983年には、ヨーロッパの「フーガーブーガー社」が、初めてスイスでスノーボート製造を開始し、1984年にはアシメトリックのボードを売り出しました。この頃から、様々なハイテク・スノーボードの進化が始まりました。

ブーム

材料と技術の発達に加え、スポーツ人気にも火がつき始めました。「007美しき獲物たち(James Bond - View to a Kill)」や「ファイアー&アイス」のような映画は、スノーボードを安全で楽しいスポーツであると、幅広い層に印象付けました。スノーボード・ブームが始まるまでに長くはかかりませんでした。

「スノーバー(Snober)」の数は着実に増加し、トレーニングキャンプが始まり、大会が開催されました。1987年には、最初の世界選手権が、リビーニョとセント・モリスで開催され、国際規模のイベント開催のため、国際スノーボード協会が設立されました。

指導

スノーボードの国内協会が設立されたことを受け、その後、まもなくスノーボードのインストラクターが登場しました。V?SS(オーストリア・スノーサーファー協会)は、「スノーボーディング−初心者と上級者への助言」と題された小冊子を作成し、1987年に最初の指導を始めました。ドイツでは、この小冊子は、「スノーサーフィン(Snowsurfen)」と題されています。この中で、カーブと操縦テクニックが、前転と後転にはっきりと区別されています。しかし、スノーボード・インストラクター養成のための、国際的に認められたガイドラインはありません。もう一つの問題は、様々な国内協会が、独自の指導方法を開発していることです。

スポーツを愛する皆様へ

マルコ・ガルマリーニ(Marco GALMARINI)
ICSD技術ディレクター - スノーボード