手話と出会って世界が広がった

早川友二さん(第17~20回夏季デフリンピック・競泳・銀メダル4・銅メダル1)


職場の上司に手話で確認をとる早川さん

 ろう学校ではなく普通の学校に通い、社会人になってからも周りは健聴者だけだったという早川さんは、「当時、手話は必要ないと思っていました。だから、ソフィア大会(1993年)で、同じろう者が手話でコミュニケーションを取っていることを見たのは大変な驚きでした。私自身は手話だけ見ても理解できず、口の形を合わせて理解できる程度でした」と、初参加のデフリンピックを振り返る。

 このデフリンピック参加が、早川さんの人生にとって一つの転機となった。大会を通して同じ日本選手団のろう者や世界のろう者との出会いがあり、大会終了後も水泳活動を通してろう者仲間が増えていった。

 「手話を覚えることで、積極的に仲間とのコミュニケーションをとるようになり、自分自身、心身共に成長しているのではないかと思います。現在の職場では通常、メール等によりコミュニケーションを取っていますが、説明会や教育等では手話通訳を依頼します。会社から理解をいただいて、大きな不便を感じずに働いています」と早川さんは胸を張って話す。

早川友二選手 長編インタビュー(一問一答)

 聞き手 松島謙司(全日本ろうあ連盟スポーツ委員会啓発普及部)

(問)ブルガリア大会に参加したときは、手話はどのくらい知っていましたか?期間中、他の日本選手とのコミュニケーションは、主にどんな方法でしたか?
(答)ブルガリア大会前までは、普通の学校に通い、社会人になっても周囲は健聴者だったので手話は必要ないと思っていました。大会を通して、同じろう者が手話でコミュニケーションを取っていることを見たのは初めてでした。また、私自身は、手話だけ見ても理解できず、口話を見て理解する程度でした。手話を表現することも仲間から教えてもらいながら、初級程度の手話を覚えていきました。

(問)「もっと手話を覚えたい」と思ったこと、手話に対する意識が変わったということはありますか?あるとすれば、それはいつ頃ですか?そのきっかけは何でしたか?
(答)世界大会を通して、同じ日本代表のろう者、世界ろう者との出会いがあり、もっともっと手話を覚えたいと思いしました。大会が終っても、水泳を通してろう仲間が増えました。仲間とのコミュニケーションを取る時、手話は必要でもっと覚えなければと痛感しました。また、自分の主張や相手に伝えたいことを手話で表現することがまだまだ難しく感じる時があるので、更に磨きたいと思っています。

(問)手話に出会ってよかったことは、どのようなことですか?
(答)今までの口話では、1対1または少数人なら、理解できましたが、会議や複数人で話し合うのは話している人の顔を追いかけたり、横向き後ろ向きでは、口話が読み取れず理解できませんでした。ろう者達の中では、手話の読み取りができるので、誰が何を話しているか理解するのに時間は掛かりませんでした。

(問)手話を覚えたことが、自分の競泳(水泳)にも何か影響しましたか?
(答)手話を覚えることで、水泳が早くなったりすることはありませんが、水泳仲間に自分の持っている技術を教えるために、手話でアドバイスしています。

(問)手話を覚えたことで、自分自身が変わったと思えることは、何ですか?
(答)手話を覚えることで、積極的にろう仲間とのコミュニケーションをとるようになり、自分自身、ろう世界に入ることができ、心身共に成長しているのではないかと思います。

(問)職場でのコミュニケーションは、どんな状況ですか?
(答)通常、メールやチャットによりコミュニケーションを取っています。2年前に希望で異動した職場にはろう者が私を含めて5人いますので、会議や打合せの時はグループ会社の手話通訳さんにお願いしています。また、説明会や教育などでは外部の手話通訳さんに依頼していますので、職場や会社側の理解があって、不自由なく働かせていただいています。

(問)ろう者の水泳仲間との交流は、どんな様子ですか?
(答)ろう者の水泳仲間とは、日本ろう者水泳協会の役員を務めたり、選手として強化合宿や大会などへ参加して交流しています。真剣に打合せをしたり、お互いの状況、調子、笑い話などの話をします。


第42回国民体育大会 3位入賞

(問)いままでで一番思い出に残るレースは、何ですか?
(答)思い出に残るレースはたくさんありますが、人生を左右するレースがありました。1987年9月(高校3年)の時、初めて静岡県代表(少年A400M自由形)に選ばれ、沖縄国体に参加しました。その年のインターハ イ(400M自由形)は予選落ちでしたが、国体では8位で決勝に進出することができました。そして決勝レースには日本代表選手やインターハイ決勝に残るような強豪選手が多数いました。緊張でガチガチになっていた気持ちを落ち着かせるために精神統一している時、何かが舞い降りたかのように力がみなぎり、積極的なレースを行うことができました。その結果、自己ベストを大幅に更新し、更に3位に入賞することができ自分自身ビ ックリしました。全国大会での表彰台に上がったことはこの時が初めてでした。このレースの結果によって、いくつかの大学からの誘いがあり、水泳の道へ進むことを決心したという思い出です。

早川友二選手の略歴

(学歴)
1969年9月2日生 静岡県沼津市出身
幼稚部 沼津ろう学校幼稚部→中央幼稚園
小学校 沼津市立第一小学校
中学校 沼津市立第一中学校
高校 私立沼津学園高等学校
大学 中央大学

(競技歴)

1987年9月  国民体育大会 少年A 400M自由形3位
1988年6月 日本選手権兼ソウルオリンピック選考会 1500M自由形3位
1990年9月 日本学生選手権 400M自由形 2位銀メダル 1500M自由形3位銅メダル
1992年8月 日本実業団 200M自由形2位銀メダル 400M自由形2位銀メダル
1993年7月 第17回世界ろう者競技競技大会 (ブルガリア・ソフィア) 100M自由形2位・銀メダル、200M自由形2位・銀メダル、400M自由形2位・銀メダル、1500M自由形3位・銅メダル
1997年7月 第18回世界ろう者競技大会 (デンマーク・コペンハーゲン) 50M自由形6位入賞(アジア新記録) 、100M自由形8位入賞、100Mバタフライ6位入賞(アジア新記録)
2001年7月 第19回世界ろう者競技大会 (イタリア・ローマ) 50M自由形2位・銀メダル、100M自由形5位入賞(アジア新記録)、 200M自由形10位、100Mバタフライ9位
2005年1月 第20回デフリンピック (オーストラリア・メルボルン) 50M自由形 5位入賞、100M自由形8位入賞、400M自由形11位、50Mバタフライ4位入賞(アジア新記録)
2007年7月 第2回世界ろう者水泳選手権大会 (中華台北) 50M自由形6位入賞、100M自由形9位、1500M自由形4位入賞、50Mバタフライ9位

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