限りなく走り続けたい!

高山道雄さん(第10回夏季デフリンピック・25キロ競走・銅メダル)


「季刊グラフ私の眼」No.6より

 栃木県立ろう学校高等部生徒が6人でチームを作り、初めて出場した栃木県駅伝大会では、聴覚障害が周りからわかるようにと、選手全員が赤い帽子をかぶることが条件だった。結果は26校中最下位だったが、最後までタスキをつないで完走した仲間、手話で喜びを分かち合ったことは高山さんにとって「走り」の原点である。

 卒業後、栃木県陸上協会で「走りの技術」を学び、健聴者に混じって県代表に選ばれるまでに成長した高山さんは、1965年の第10回デフリンピックに出場した。

 いつもと変わらず平常心で走った25kmロードレース、トップ集団の3人に入り歯を食いしばったが、終盤で離され3位でゴールした。表彰式にあがった「日の丸」に涙が出たと言う高山さん。それまでの苦しい練習、1年前に亡くした母、応援してくれる社長や仲間に捧げる銅メダルだった。

 40年以上たった今も、地元の聴覚障害者協会の会長を務める傍ら、年5回以上マラソン大会に出場し、今日も全国各地で走り続ける。

 「走ることは辛くない。好きで、愉快だ。」

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