福祉医療機構助成事業「デフリンピック啓発セミナー」シンポジウム
(2009/2/22)

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大杉 豊(全日本ろうあ連盟スポーツ委員会国際事業部委員)

 本日はお集まりいただきありがとうございます。午前中「報告」というかたちでデフリンピックに関する情報提供をさせていただきました。午後はだいたい2時間程ありますので、シンポジウムの形で情報と意見の交換を深めたいと思います。

 まずシンポジスト4名の講師をご紹介したいと思います。栄智美(サカエトモミ)さんには「デフリンピアン」の代表としていらしていただきました。この言葉ははっきりと決まってはいないのですが、イメージとしてはデフリンピックに参加しメダルを取った方、勝利者を讃える言葉として「デフリンピアン」という言葉を使いたいと思います。栄さんは2001年ローマ大会の女子バレーボールが金メダルを獲得した時のキャプテンです。次は、特定非営利活動法人日本デフバスケットボール協会の理事長・篠原雅哉(シノハラマサヤ)さん。長野から来られました。宜しくお願い致します。篠原さんと栄さんはろう者です。残るお二人は健聴者で、まず全国聾学校体育連盟の理事長・松田勝次(マツダカツジ)さんです。続いてお隣は国立大学法人筑波技術大学の障害者高等教育研究センター・及川力(オイカワチカラ)さんです。


シンポジスト(敬称略):左より栄、篠原、松田、及川

 私は司会を勤めさせていただきます、大杉です。宜しくお願い致します。まず午前の部で「デフリンピック」という言葉が、まだまだ十分周知されていないということで、国民の何%が認知しているのかというと、大体2パーセントということです。このまま(皆さんが)帰られてあいまいな数字が広まってしまうのは良くないので、正確な数字を皆さんにご紹介しましょう。ご覧いただけますでしょうか?ちょっと見づらいとは思いますが、内閣府のウェブサイトで紹介されていますデータです。


内閣府ウェブサイトより抜粋)

 まず、「手話」。「手話という言葉は知っていますか?」これは認知度が高いですね。97.7%。逆に言うと「手話」という言葉を知らない国民は2.3%だけです。すごいですね?本当は100%でありたいですよね。次は「パラリンピック」について知っているのは94.1%。パラリンピックの場合です。さて「デフリンピックを知っていますか?」の問いを見ますと、「知っている」が2.8%です。2.8、2.8、2.8!覚えてください。この数字を記憶してください。参考に申し上げますと、知的障害者の「スペシャルオリンピックス」は12%です。スペシャルオリンピックスは今Yahooを検索すると出てきます。「スペシャルオリンピックスを応援しよう」という内容が出てきます。やはりかなり知名度が高くなってきているということです。データについては先ほど申し上げたように内閣府のデータです。ウェブサイトには詳細も載っておりますのでチェックして欲しいと思います。
http://www8.cao.go.jp/shougai/suishin/tyosa/h18kokusai.html

 本日のシンポジウムの進め方ですがシンポジスト4人が個々に10分程度の報告をしていただきます。その後、3つのテーマに沿って進めます。1つ目は「デフリンピック」という言葉の認知度が足りないことについて。2つ目にデフリンピックという言葉・内容を広めるための方法。最後にデフリンピックでメダルをとるためにどのように若い選手を強化指導し、育成していくのかです。会場の皆さんからもご意見を伺いながら、3つのテーマそれぞれについて交通整理をしていきたいと思います。それでは早速ですが4名の報告に入りたいと思います。

 申し忘れましたが、4人の方々は、全員がろう教育の現場にいる方々です。栄さんは大阪市立聾学校で指導されております。また、篠原さんも長野の聾学校の高等部の理科の先生です。松田さんは香川の聾学校の先生です。及川さん、今は筑波技術大学にいらっしゃいますが、筑波大学付属聾学校で教師として長い経験を持たれている方です。4人ともその道のベテランです。今の聾学校の環境、デフリンピック・ろう者スポーツの関わり等を、皆さんと共に考えたいと思い、お願いをしました。それでは皆さんそれぞれテーマが少し違いますが、順番にご報告をお願い致します。

栄 智美 (デフリンピアン)

 みなさんこんにちは。先ほど紹介をいただきました栄智美(サカエトモミ)と申します。私は第17回世界ろう者競技大会から3大会連続で参加いたしました。第19回デフリンピックで聴覚障害者の団体として初めて金メダルを獲得しました。当時、私はキャプテンを務めました。今日はこのような高い場所で話をするというのは初めてですのでうまくお伝えできるかどうか分かりませんが頑張りたいと思います。宜しくお願いいたします。

 私は現在、母校である大阪市立聾学校高等部で実習助手として勤めております。生徒指導の傍らバレーボール部顧問として生徒たちと共に汗を流しています。今日はデフリンピックで世界一を獲得してから思うこと、ろう学校の部活指導を通して思うことを素直に話ししたいと思いますのでよろしくお願いします。

スポーツの出会い

 私は2歳半の時に聞こえないということが分かりました。幼稚部から高等部までの15年間、大阪市立聾学校で学びました。聴者の母に、私が学校、地域、社会のなかでコミュニケーションに困らないように、つまずかないようにという願いがあったので、私は小さい時から聴者に交じって外で遊んだり、一緒にチームスポーツを楽しんだりしていました。

 中学部に入学したとき、部全体としてのクラブ活動がバレーボール部だけだったのでごく当たり前のように私自身も入りました。同世代の聴者のチームに負けて、家に帰るたびに母から「身体面では聴覚に障害があるだけで他は聴者とそんなに変わらないのになんで弱いの?」といつも言われていました。

ラリー中のコミュニケーションとチームワーク

 バレーボールはチームワークがとても必要なスポーツです。日本代表になってから気づいたことがあります。それは、選手一人一人が与えられたポジションできちんと仕事をこなし、それぞれがうまくかみ合うことで、互いの信頼関係を築きあげることができているチームは強いということです。

 学校のクラブ指導では練習、ゲームを進めていくなかで、生徒がお互いに助け合い励ましあいながら、人間的に成長する手助けができればと考えています。

 ろう者は聞こえない、聞こえにくいということによってプレー中のコミュニケーションの難しさがあります。聴者は攻撃や守備のコンビネーションの図り方はボールをみながら目と声で判断ができますが、ろう者はそれをこなせるのに無理があります。それを補うために、練習の中でいろんなパターンを想定しながら何度も何度も練習を重ねていきます。例えば、2人の間にボールが落ちそうになる場面がありますね。だれがそのボールをとるのか?このボールをどのように処理するのか?チームの中で何度も確認しあいながら細かいルールを作り、練習を積み重ねていく必要があります。その繰り返しの練習によって攻撃面で聴者に劣らないコンビネーションバレーを仕掛けることができるようになります。ある程度、基本的な技術を身につけた選手ならアイコンタクトを活かしたコンビネーションバレーをすることができるようになります。できるようなるまでには時間を費やしますが、いろいろ工夫をしながらバレーをするのは本当に楽しいです。

仲間たちに支えられての金メダル ~デフリンピックでの金メダル~

 選手として1993年のブルガリア大会、1997年のデンマーク大会、2001年のイタリアローマ大会、以上3回デフリンピックに参加しました。その中で一番印象に残っているのは2001年のローマ大会の決勝戦です。世界一が決まったその瞬間は今でも鮮明に覚えています。2001年7月30日、アメリカのスパイクを日本のブロックで突き放した瞬間です。チーム全体があきらめないという気持ちをひとつの結晶にすることで、もう無理だ!負けてしまうと思われた決勝戦を大逆転で破り、世界の頂点に立つことができました。そのシーンは忘れられない思い出として脳裏に焼きついております。私自身、世界一を獲得するまでの道のりは本当にこれまで味わったことのない苦悩の連続でした。バレーで初めて左足を骨折、そして日本代表選手選考の前に左足首の靭帯を断裂してしまいました。元通りになるまで1年要するだろうと言われ、世界が一瞬で遠のいてしまいました。が、家族をはじめ、高校時代の恩師、チームメイト、チームスタッフ、たくさんの方々から「今は怪我をしてプレーできないけど、1年後にはきっとケガから復活して世界で活躍してくれると期待している」という思いがけない励ましをいただき、とても嬉しい思いをしました。いろいろな人に支えられて、再び世界のコートで、またバレーができる嬉しさをかみしめた大会でした。と同時に「勇気」「感動」「感謝」のデフリンピックでもありました。

夢を持て! ~聾学校での部活動指導~

 今、聾学校の部活指導では高等部男子バレーボール部を指導しています。いつも繰り返し言っていることがあります。それは「夢を実現するためには努力する。その環境作りを自分自身がまず作っていかなければならない。まわりのサポートが得られないと、夢の実現はなかなかできない。またサポートを得るために日頃から周りの人に認めてもらえるように信じてもらえるように自ら努力をしなければならない。また時にはくじけそうなるかもしれないが、くよくよしないで常に前を向いて、積極的な気持ちで、練習に励み、試合に臨むといいよ」とクラブ指導のとき話しています。聴者の練習試合で、自分は聴者についていけないと弱い気持ちが出てきた時には「聞こえないからできないということはない。聞こえる人と聞こえない人の区別はどこにもないよ。できる!頑張れ!」とハッパをかけ立ち直らせたりしています。私自身、学生時代はずっと聾学校で育ち職場もたまたま母校なので、これは何らかのご縁と思い、ずっとろうの子どもたちの夢をサポートしていきたいと考えています。教え子たちが世界で活躍する日を夢みてこれからも頑張りたいと思います。今日はありがとうございました。

大杉 デフリンピックに参加された立場でとても良いお話をいただきましたね。私も大阪市立聾学校の高等部のバレー部に入りたいな~と思いました。(笑) では次にバスケットボール協会の理事長・篠原さんからの報告をお願いします。

篠原 雅哉(特定非営利活動法人日本デフバスケットボール協会 理事長)

 こんにちは、ご紹介いただきました篠原と申します。今回は日本デフバスケットボール協会理事長という立場で参りました。世界の実力についてですが、アメリカがとても強いですね。男子アメリカはデフリンピックでは毎回1位。2位になったことはありません。ずっと1位を取り続けています。次にはスロベニアがとても強いです。今、海外の試合で大切なのはスピードです。身長ではなくスピードで決まります。日本チームの勝利はスピードが鍵です。日本チームに技術はありますが、やはり相手の身長が高い、身長差、体の大きさの差が課題になります。バスケットゴールは3mあります。身長が高ければゴールは近くなります。その身長差を負かすにはスピードが必要になるのです。

 写真にありますように身長は顔1つ分違います。これはスロバキアの選手ですね。見上げるくらい高いです。女性も同じです。とてもとても大きいのです。世界1のアメリカチームも大きいですね。横も大きいですね。縦横大きいですね。日本人は小さいですね。この人は185センチ。これは男子チームです。日本で一番背が高いのは11番の選手です。彼の身長はどのくらいだと思いますか?191センチです。となりの相手選手は2メートルを超えています。191センチの選手が小さく見えますね。これは世界大会のアメリカの若いチームとギリシャのチームですね。この人の身長は2メートル15。びっくりしますね。相手の身長が高いから無理だと思うのではなく、速く攻めて、速くボールを奪い取るという「スピードで攻める」考えに絞ってやっております。

 さて、デフバスケの強化方法を紹介したいと思います。デフスポーツは競技なのか福祉なのかという考えから始まりました。どちらでしょう?福祉ではありません、競技です。「勝つ」ということを目的に頑張ります。福祉的に聞こえないから配慮してやるというのではなく、健聴者と対等にやるという考え方で進めています。

 前回のメルボルン大会の時と今回は体制を変えました。日本チームはローマで初めてデフリンピックに参加、メルボルンはローマに続いて2回目の大会でした。バスケットの基礎がなかったので、まず基本を充分に身につけることやりました。そしてどうやってゲームを勝ち取るのか? それは選手一人ひとりの自覚にかかっています。デフリンピックの選手に選ばれたからラッキー!というのではない。そうではないデフリンピックの選手であるという自覚が必要です。健聴の監督とのコミュニケーションをきちんと取ることも必要ですね。前はろうの監督が行っていましたが、健聴者の力を借りることにして、健聴者で手話が出来ない場合、どうするのか?コミュニケーションのきちんと取るにはという検討課題を抱えながら、メルボルン大会に出場しました。デフリンピックのバスケ日本代表の男子選手のことを知ってもらうことの努力。広報活動もあります。日本バスケのトップチームである実業団チームと試合をするということもやってまいりました。

 メルボルン大会で改めて考えたのですが、日本の場合は聴覚障害者が試合を進めるためになんらかのサポートがあります。例えば、審判が手袋をして目立つようにするというのがありますが、メルボルン大会の時は健聴者の試合と同じように手袋はありませんでした。健聴者の大会と同じやり方でした。改めて福祉ではない、競技だということを再確認したわけです。またアメリカはルールブックも健聴者と同じものを使い、基本的にすべて同等ということです。メルボルン大会は大会期間が2週間ありました。期間が長く試合が続きます。体力・持久力・選手の体調管理・モチベーションを高める。気持ちが落ち込まないようケアする、これが課題でした。日本ならば長くても1週間で決勝戦を迎えますがデフリンピックは2週間かかるということです。練習だけでは気持ちを持続することは出来ないということが分かりました。技術以外の問題、選手それぞれに気力があったかどうか見抜けませんでした。メルボルンの時には技術的にうまい人だけを選びました。ですから、技術以外の面を自己管理できるかどうか。昨日大槻さんから話がありましたそのことと同じです。自分で自分を管理する、自分が選手として参加する自覚を持つ。それを持たなければならないことが教訓となりました。

 今日は参加しておりませんが、メルボルン大会に引き続き台北大会にも選手として選ばれた女性がいます。彼女に「メルボルンに参加して何か反省点はありますか?」と聞いたところ、「スピードが足りなかった。長期戦での精神力が足りなかったから、精神疲労の解決方法を何か自分で身につける必要がある」といいました。また「健聴・ろうの違いはないが、確かに試合中のコミュニケーション方法は目だけが頼りだから、チームの力をまとめなければならない。」これを参考にして、台北に向けて、選手達を指導強化中です。

 台北2009への取り組みとしては国際経験を積み重ねていこうというものです。そのために2007年中国の広州に行きました。自己負担でも構わないということで行きました。メルボルンでは中国に負けましたので、負かしてアジアで一番を獲得するために行きました。勝つことは選手の自信につながります。男子チームは8位を取りました。改めて自信をもって大きな1歩を踏み出すことができると思います。

 台北2009に向けて日本代表メンバーを集めて戦えるチームを作る。粟野さんが言うようにメダルを獲得するという気持ちを強く持って欲しい。戦うだけではなく「メダルを獲得するんだ」という意識づけ。スタッフにもきちんと情報を集めて渡す。年間5~6回強化合宿を行う。また別に自己負担で自主合宿をやることも増えました。それぞれ選手が自覚を持てたことは素晴らしいことです。また企業の東芝・日立・松下電器のバスケットチームからの協力、大学や高校には練習試合をすることで協力をいただいております。ユニフォームウエアを、メーカーや企業からの協力をいただけるようPRをするということも必要です。

 選手のモチベーションを上げるために選手を良くみて生活レベルに合わせて考えるサポートが必要です。バックアップですね。上から目線ではなく、同じ目線にたつことが必要です。やはり選手は社会人であり仕事を持っています。余暇で練習をするわけですから上から目線ではなく同じ目線で話すことが大切です。思い切って下から目線となりバックアップをすると言う気持ちが大切だと思います。あとはデスカッションですね。いろいろ話し合いをするということです。日本代表としてのステイタスが必要です。誇りを持たせるのですね。代表となったときのメリットは何なのか?それがなければ代表だとは言わない。ただやりたいからではない。日本代表としてのメリットはありますか?健聴者の場合はありますね。有名になりますし、お金ももらえます。やったぁ!という気持ちになりますけれども、デフリンピックにはありますか?そういう話は聞いていません。

 日本代表としてのステイタスを上げるためには何が必要か。皆さんとは意見が違うかもしれませんが、私はデフリンピックの知名度をあげることまずあげること。皆がデフリンピックを知っている、デフリンピックはろう者のスポーツ大会の中で、最高の大会であるということを周知することだと思います。以上です。ありがとうございました。

大杉 篠原さんは競技団体のトップの立場で活動をされていますが、他の団体の指導者も同じような思いをされているのでしょうか。ご苦労さまです。では続きまして全国聾学校体育連盟の松田理事長から体育連盟の活動・内容について話していただきたいと思います。宜しくお願いいたします。

松田 勝次(全国聾学校体育連盟 理事長)

 今ご紹介いただきました全国聾学校体育連盟理事長の松田と申します。本日はどうぞ宜しくお願いいたします。私は現在、香川県立聾学校で体育教師をしております。聾学校に赴任しまして今年で22年が終わろうとしています。その間、全国聾学校体育連盟に携わり仕事をしてまいりました。今日はこのような素晴らしいセミナーに参加させていただきましたので是非みなさんに全国聾学校体育連盟についてご紹介したいと思います。

 これは全国聾学校体育連盟のマークであります。体育連盟が発足してまもなく、当時の会長・理事長が作成したもので、この人体は体育・スポーツにより体力の向上を表し、Nは日本列島、そしてローマ字の「NIHON」の頭文字をとっております。背景色のブルーは空と海を表し、Nの赤の部分は力と情熱を表しています。

 続きまして全国聾学校体育連盟の沿革について説明いたします。昭和38年11月に大塚ろう学校で結成式が行われ、昭和39年6月に第1回陸上競技大会が横浜で行われました。そして40年の2月に第1回卓球大会が東京体育館で行われました。

 その後44年に北陸地区が加盟、53年には四国地区が加盟し、文部科学省・日本陸上競技連盟・日本卓球協会の後援を得て、昨年の10月に第45回陸上競技大会が石川県で、第45回卓球大会が長野県で開催されました。現在、体育連盟東北・関東・北陸・東海・近畿・中国・四国の7地区と九州の単独加盟校を併せ選手登録数が854名となっております。平成15年までは1.000名を超えていましたが生徒数の減少に伴いまして、選手登録数も減少傾向になっており現在体育連盟の大きな課題になっています。

 本連盟の目的ですが、全国の聾学校の体育を振興し児童・生徒の体位の向上を図るとともに、スポーツ精神の涵養を持って行っております。

 体育連盟の事業としてはその目的を達成するためにここに掲げております8項目の事業を行っております。

 今日は時間の関係上、競技会の開催について絞って説明したいと思います。まず今年石川県で行われました第45回陸上競技大会の模様を少しご覧ください。

 <陸上大会の映像が流れる。> 陸上大会の競技種目は、ここにありますように1部・2部に分かれており、1部は高等部生徒、2部は専攻課生徒で行っています。1部男子は12種目、1部女子は11種目、2部男子11種目、2部女子10種目で行われております。今年度の石川大会に出場した2名の生徒が昨年行われた世界ろう者陸上競技選手権大会に日本代表として出場しました。

続きまして今年、長野県で行われました卓球大会の模様を少しご覧ください。

 <卓球大会の映像が流れる。>卓球大会の競技種目については、ここに書いてあるとおりです。時間の関係で省略させていただきます。卓球大会の場合は参加制限を設けており、各地区で予選をし勝ち抜いた学校及び生徒が出場することになっています。簡単ではございますが以上で全国聾学校体育連盟についてご紹介を終わらせていただきます。どうもありがとうございました。

大杉 ありがとうございました。45年前から全国的な組織を作って全国競技大会を続けておられることに改めて感心しております。また、今もなお聾学校で若い力が育っている様子のご報告にうれしくなりました。最後に筑波技術大学の及川先生、お願いいたします。

及川 力(国立大学法人筑波技術大学 障害者高等教育研究センター)

 技術大学の及川です。本当は無駄な話の中におもしろい内容がいっぱいあると思うのですけれども、私が無駄話を交えながら行うとたぶん1時間かかっても終わらないので無駄な話はやめて10分程度で終わるようにしますので、多分おもしろくないんじゃないかなと思います。

 次回(9月の台北デフリンピック)はどうなるかというところだと思うんですけど、一見すると成績が落ちているように見える。それがどういうことなのかを見ていたら実はこういう論文が出てきました。なんてことはない、前回の事務局長である大杉先生が、総括に書いていました。原因は他国のレベルアップではないかと。日本選手団の今度の活動として若い選手の発掘と育成、国際大会の派遣・経験等をすることが重要だろうと。それで昨日からの話の脈絡が私も理解できます。聞こえない選手について大杉先生は同じ論文の中でこのようなこともおっしゃっています。「デフリンピックとは競技記録を競う国際大会である。」競技性の高い大会であるということと同時に「文字や映像による情報保障と手話を中心とするコミュニケーション保障がないとデフリンピックにならない」と述べています。

 こういう3つの条件が整うことがデフリンピックだと聞こえない方が定義されているわけですから、それに対して私がどうのこうの言う立場ではございません。ただ、少し意見はあとで申し上げます。

 ではオリンピックはどこに価値があるのか?我々がどういうところを見て感動するのか?例えば、みなさんすぐにオリンピックに出場できますか?目指そうと思えば今から出られますか?私も若いときはちょっと思ったんですね、高校生くらいまでは。サッカーというのは怪我の多いスポーツなので私も頭を打って3日間意識不明で入院しました。脳波異常の診断を2回受けているんです。その頃、1年間くらい左右の焦点が合いませんでした。目をやられたんですね。それから頭がボーっとしてなかなかサッカーを続けられない状態になりました。それで競技生活は終わったということです。ただ今はサポート体制がとても良くなっていますから今だったら多少は違うのかな。選手のリハビリが非常にいいですよね。このように話が脱線してる・・自分で言ったことですが。

 (価値があるのが)何かというと「誰にも真似できない」ということです。「誰にも真似できない」ちょっと1年くらい練習すれば芽が出るというわけではない。出来そうになるなんてもんじゃない。例えばキタジマコウスケさんなんて、私は実家まで見に行ったんです。幼稚園の頃からやっているわけです。ずーっと幼稚園・小学校・中学校・高校・大学まで専業でやっているわけですから、それくらいでないと本当に人の感動を得るというのは難しいということです。

 ではパラリンピックは?本質は同じだと私も思います。オリンピックにない条件が他にも加わっているということです。最後にデフリンピック。デフリンピックも同じではないかと私は思っています。だから本当に死に物狂いでやって誰にも真似できないくらいのパフォーマンスを出さないと本当は感動を呼ばないのではないかと思います。たぶん条件の中のいくつかに文字や映像による情報保障だとかコミュニケーション保障だとかが入ってくるのだと思うのですけれど、おそらくそれ以外にトレーニング法、栄養の問題、メンタルの問題などがたくさん入っていると思いますので、まあそれ以上はここでは言いません。

 <PPを指して>全部読まなくても良いんですがここではこう言っている。「聴覚障害者は聴覚障害者のグループ活動に終始しやすく健聴者との交流が乏しいため競技力の向上にハンディキャップを負う。」藤原さんという大学の先生がおっしゃっている。これ学術論文ですから批判は学術論文でしなければならない。じゃあどうしたら良いかという中に「コミュニケーションを考えましょう」ということとここに書いてあるように「視覚による保障」みたいなものですかね。情報保障が必要だということが書かれている。どうやら考えは同じようであるという風に私も思います。実は藤原先生は体格などは健聴者と(聴覚障害者は)変わらないとおっしゃっていますが、私は本当かなぁと思い研究で調べてみました。

 <PPを指して>これは6~17歳の聴覚障害児の平均値の話ですから、そう取っていただきたいのですけれど、同じ年代の健聴者の子供を100%として聴覚障害児は何%になるかを単純に比較したものです。これは反論もあると思いますが。

 これで見ると体格的なものはほぼ同じです。身長や体重は健聴者とほぼ同じ。体の大きさは聞こえる人も聞こえない人も同じということです。松田先生に余計なことを言ってはいけませんが、体育連盟の目標の中に「体位の向上」っていまだにあるからもう変えたらいいんじゃないですか(笑)体位はもう充分向上していますよ。問題は筋力や敏捷性、運動能力的なものはほぼ90%くらいなのかなぁと思っています。ただこの中にいくつかちょっと低いものがあります。男子のボール投げは別の機会にいうことにして、ここでは20mシャトルランという研究をしていました。音を使うテストなので聞こえない人は補聴器をつけて受けるわけですが、それだけでは不十分なのではないか、どうしたら良いのだろうと考えてそれなりの機械を作ってみたんです。単純に1.500m、1.000mを走らせると先ほど説明したように約90%くらいなのに、これ(20mシャトルラン)だけは7割。やはり何か原因があるのではないかと調べました。こういう視覚的に見える装置を作って、正面に見て走った時にこのような映像が見えるようにして、床にはLEDのライトが光っていくというものですが、まだ充分な検証はできていません。

 実は聴覚障害者選手のスタートシステムの話はパンフレットに写真が載っています。ここに載っているスタートシステムは非常に改良されてきていると思っているのですが、しかし斜め前を見るようになっています。横というか斜め前ですね。私も時々引用するハーレーさんはだいぶ前に20年前にこういう論文を書いていて、ここら辺(PPの画面を指す)に置くのがいいとなっています。

 なぜかというとデフリンピックの場合は(スタートシステムが)このへんにあるんです。斜めに見るわけです。そうするとハーレーさんの研究によると、体にねじれが出て回転モーメントが働くので前にいく推進力が弱いということなのです。たぶん中学や高校の時に力の合成、ひし形みたいのを書いてこうひくみたいな、そんな勉強をしたかと思うのですが、その原理なんです。ですから将来的に機械が非常に良くなっているのでもっと改良されるとパフォーマンスが良くなるんじゃないかと思っています。研究の余地がまだありそうです。

 シドニーオリンピックの時に、南アフリカのパーキンと言う聴覚障害者の選手が平泳ぎで2位になりました。大騒ぎになりました。このときに、スタート台にスイスの有名な時計メーカー・スウォッチ社が作ったスタートシステムがありましてスタート台の脇でランプが点滅するようになっていたようです。どうやらパーキンの活躍に関係があったようです。お金をかけないでやることにどんなことがあるのか、いろいろな団体に聞いてみたのですが、ラグビーの場合は観客に黄色の紙を入場の時に渡すということをやったことがあるそうです。審判が笛をピーっと吹いたら紙を掲げるというようなことをやったんですけど、成功した時と成功しなかった時があってあんまり人数が少ないと効果が薄いそうです。かなり人数がいると良いとここには書いてあります。

 聞こえない人は音の反応よりも目の反応の方が早いというのがいくつかの研究で分かっています。これは私の先輩でもうお辞めになっている方で後藤さんという方が研究をしました。高いほうが数値が遅いってことですから短いほうが、下の方がいいってことです。するとやはり聞こえない人というのは光の反応の方が早いということが分かります。当時私も短期大学の学生に50人くらい同じ実験をやりましたが結果は同じでした。条件としては音を聞かせるのと光を見させるというもの。補聴器をつけて下を向き、やる前に音を聞かせる、音が聞こえていることを確認してやったんです。だから音が聞こえていても視覚に入るもののほうが早いということです。スタートシステムを使うほうが音声利用よりは良いと思います。もう時間ですので短くしましたが、これからこういうことをやってはいかがでしょうか?今聴覚障害者競技団体に係わっているトレーナーや栄養士さんいらっしゃいますよね。それから聾学校には体育の先生などがいるわけです。大学はほとんどいません。私が知っている範囲で聴覚障害者のことを研究しているのは4人くらいです。代表チームやクラブチームの指導者などもいるでしょう。その他も色々いると思います。こういう方々をもっと利用すること。それから色々な研究をもっと進めるほうがいい。進めるために組織を作ったほうがいいと思います。昨日の監督会議の席で私の同僚である中村から今度デフリンピックにでる選手に対するアンケート依頼があったかと思います。成果をまた皆さんへご報告したいと思います。それから親団体との連携をもっと深めるのが良いと思います。本日は松田先生に来ていただいたんですが、そういう意図があって来ていただくようお願いをしました。

 最後に、午前中に報告があったように、聴覚障害者組織の改革運動の話がありました。いま組織が色々変わっていっています。国内的には私も驚いたんですけど、競技団体の運営をもっと専門的にやるために大学院まで進むという方も出てきています。だいぶ色々変わってきているなと感じています。沢山の知恵を活用できる柔軟な組織へ変わっていくことが良いのではないか?と個人的には思っています。そのときに、まあこれは昔の論文に書いたのですが、英語でしか表せられないのでこのまま載せてあります。

 CISSがパラリンピックに加盟するとき、実際国際パラリンピック委員会に加盟したわけですが5年くらいで辞めてしまいました。その経緯を書いた論文です。当時の会長のジョーダンさんにFAXなどでやりとりをして教えていただいたのですがCISSがIPCに加盟するときにIPCの決定権半分以上を障害者が持つと良いんじゃないかと提案をしたのだけれどもそれが却下されたということが(論文に)書いてあります。皆様の団体はそのような原則を堅持しておられるということになります。私はこれはこれで良いんではないかと思います。

 私も何か貢献できないかと色々やっているわけですが1つはこんなことをやりました。もうデフニュースに載ったんじゃないかと思うのですが、ネットワーク作りをやろうと思ってこういう名前のメーリングリストを作りました。まだ何人も入っていないのですが、とにかく、どういうところでどういう人がどういう事をしているのかが分かるだけでも参考になるかなと思っています。さきほど栄養士さんだとかトレーナーだとか書きましたが、そういう方にも呼びかけてネット作りをしていこうかなと思います。何がしかの形で応援になれば良いかなと思っています。以上です。

大杉 及川先生、聾教育の現場におられ、研究もされているお立場から良いお話をありがとうございました。長い教育経験を通して、ろう者に対する理解が非常に深い方でいらっしゃいます。親心と申しましょうか、ろう者スポーツの発展をさらに望むためにも厳しいご意見を出していただきたいと思っております。時間は既に残り40~50分になりましたが、改めてデフリンピックを知っている方が少ないということについて、それぞれのお立場でデフリンピックという言葉・名称の普及、例えば家族は知っているのか?また、自分自身はデフリンピックという世界、世界ろう者競技大会があるということを知ったのはいつなのか、そのあたり手短かでかまいません。簡単にお話していただけたらと思います。では栄さんから。

 私がデフリンピックを知ったのは高校2年のときに参加した全国身体障害者スポーツ大会(以後、全国障害者スポーツ大会に名称変更)でした。そういう大会があるのか?とそのときは思いました。初めて参加した第17回世界ろう者競技大会(現在:デフリンピックに名称変更)の時は「世界」というものがどんなものなのかを全く知りませんでした。ですから、とにかく行けるだけでも嬉しいという軽い気持ちでおりました。そのときバレーボール女子は10カ国だったような記憶があります。あの時、外国チームにはちょっと失礼かもしれませんがバレーの技術は日本の方が他の外国に比べはるかに上という感じでした。が、なかなか勝てませんでした。勝てないのはなぜかなとずっと考えたことがありました。そのときの成績は4位でしたが、どうして負けたのか、あの時は、外国人は身長が高いしパワーもある、だから無理なのだと思っていただけでした。確かに意識が低かったというのもありました。次のデンマーク大会の時は何が何でも出場したい。勝ちたい。とにかく金メダルをとりたいという気持ちが強かったです。しかし負けました。勝てるはずの試合に負けてしまいました。技術面ではこれまでにない素晴らしい選手が増えたのですが負けてしまいました。負けたのは「チーム力」が足りなかったのではないかという気がしました。

 「デフリンピック」という言葉を知っているか?という質問ですが、大阪市立聾学校では、卒業生のなかにバレーボール、陸上、水泳、サッカー、バスケットに日本代表として参加した選手、役員がいますので、ほとんどの生徒、教師、保護者がデフリンピックをよく知っていると思います。ですから、デフリンピック派遣カンパなどの協力が得られやすいし、強化練習の会場にしても当校の場合は頻繁に使わせていただける良い環境に恵まれていると思います。今、国内においてろう者のバレー人口が減少傾向にあります。ろう学校の生徒の数が減少しバレー部が設立できない状況になっています。近畿地区では昨年10月に近畿地区聾学校バレーボール大会が開かれました。この大会は51回目という長い歴史がありますけれども高等部男子の部・中学部男子の部・中学部女子の部では近畿地区から2校しかエントリーされていない状況がここ数年続いております。生徒も近畿地区の大会だというのに参加校が2校ではやはりなかなかやる気がわかないと思います。参加してもたった1回だけの試合で終わりというような状況の中では、やる気が起こらないし、展望がない、どうしたら良いのかなあと悩んでいます。

 先ほど、松田先生より話しがでましたが、聾学校体育連盟で行われている全国規模の大会は卓球・陸上競技だけです。実際にそれぞれの学校で部活として取り組んでいるのは卓球・陸上・バレーボール・野球があると思いますが、なぜか団体競技のバレーボールや野球は全国大会がありません。夢を膨らませてあげるためにも、将来的に団体競技の部も全国大会を設けていただけたら良いと思っています。全国規模の大会ができなくても西日本・東日本の選抜大会のようなものでもかまいません。聾学校の部活でバレーボールをしている学校が東海地区、関東地区にあると聞いているので、ぜひ実現してほしいなぁと願っています。生徒たちが学生時代からこのような経験をしてこそ、デフリンピックへの意識高揚にも結び付けられるきっかけがつくれると思うし、デフリンピック日本代表を目標に日々の練習に邁進できるだろうという期待があります。

 現在、ろう者のバレーボールチームの状況は 都道府県・政令指定都市チーム、若い人から高齢者までの幅広いチーム、同窓会のようなチーム、聞こえない人だけで作るなどそれぞれのチーム事情は様々です。デフバレーボーラーが参加できる大会は数多くあります。選手のなかには地域のバレーボールクラブや家庭婦人バレーボール連盟に登録をし参加するチームもあり、また聴者のチームに混じって練習をしている者もいます。

 これからは全国聾学校体育連盟や地域の高校、大学のクラブなどと連携をはかりながらデフバレーボールの選手情報収集に努めていかなければと感じています。以上です。

大杉 長野ろう学校はいかがでしょうか?篠原さんお願いします。

篠原 個人的な考え方で宜しいでしょうか?まず自分自身が「デフリンピック」という言葉を知ったのは23歳くらいだったと記憶しております。自分は小さいときは一般学校に通っていたので聾学校の同級生のスポーツ状況について全く分かりませんでした。私自身が知らなかっただけかも知れませんが。言葉の普及については前に言ったとおりパンフレットを配布するのは重要な運動だと思います。また聾学校に通う子供が減少しているという傾向がありますから、ろう学校の生徒の数を増やしていく必要があります。先輩から後輩に歴史を伝達していくような意味で、言葉も自然に引き継がれていくのではないかと思っています。そして「デフリンピック」の大切さ重みをさらに広げていく取り組みの必要があると思います。とにかくその重みを皆さんに分かっていただくためにPR活動をし、歴史などの話をして、受け継がれる流れを断ち切らないような形で拡大していく必要があると思います。皆様も個人個人色々なお考えを持っていると思います。工夫も必要だと思います。以上で宜しいでしょうか?

大杉 いろいろご意見いただきました。次は香川県立聾学校の実情について、個人的なお話でも結構です。松田さん宜しくお願い致します。

松田 体育連盟として時間がありませんでしたので、各地区の意見は聞いていません。ここに来る前に、香川県立聾学校で先生60名、中高等部26名を対象にアンケートを取ってみました。「あなたはデフリンピックを知っていますか?」というものです。回答に「①よく知っている」に答えた先生・生徒は0名。「②名前は聞いたことあるけれどよく分からない」が先生25名、生徒8名。「③全く知らない」が先生15名、生徒18名でした。生徒の中には「先生、それは間違っているのではないか?パラリンピックだろ?」という者もいました。本校ではこのようなことからデフリンピックの知名度はかなり低い結果でした。

 私がデフリンピックを知ったのは今から8年前です。体育連盟の元理事長でありました大阪の上原先生がバレーボールの総監督になった時に知りました。しかしその後も特に体育連盟では話題にのぼらず、恥ずかしながら私もよく理解できておりませんでした。今朝の講義を受けて驚いたことが2つありました。1つはビーチバレーやオリエンテーリングという種目があったことです。2つ目は陸上競技や水泳競技のスタートについてです。先ほど及川先生からもお話がありましたが信号機のような装置を使ってスタートの合図にしていたことです。非常に良い試みと思いましたので、デフリンピックの競技運営などを参考にして本連盟も取り入れられることについては積極的に取り入れていきたいと思います。どうもありがとうございました。

大杉 今のお話にはちょっとショックを受けました。大阪市立聾学校と香川聾学校に差があるように感じますね。では及川さんにもお願い致します。

及川 国際ろうスポーツ委員会が国際パラリンピック委員会に統合される、その前後のいきさつを研究していました。それを論文にまとめたものがあります。時間があれば後で読んでいただければと良いと思います。その中でCISSがIOC(国際オリンピック委員会)に名前を変えて欲しいと要求をしていた経過を知っています。その名前の候補の1つに「デフリンピック」というものがあったということは承知しています。昔からろう者の世界競技大会があったということもよく知っています。今回、本学の学生もデフリンピック選手候補が4人くらいいます。4人とも学年が1年生なので、彼らの友達はデフリンピックという言葉を知っていると思いますが、他の学生は知らないんじゃないだろうかという状況だと思います。

大杉 今デフリンピックについてどのくらいの方が知っているか、聾教育現場の状況などについてお話をいただきました。やはり「デフリンピック」の言葉を知らない方々が聾教育現場にたくさんおられることはショックですね。「デフリンピック」を広めていく、普及をしていくためにどのような方法があるのか?ここで参加者の皆さん、こういう方法がありますとか、良い案があればご発言いただければと思います。どなたか「はい」と積極的に手を挙げられる方いらっしゃいませんか?何か案をお持ちだと思います。出していただければと思います。ちょっとお待ちください。篠原さんが長野ろう学校の状況説明を忘れてしまったということです。手短かにお願い致します。

篠原 失礼しました。先ほど長野ろう学校の状況を話していませんでした。2006年に台北へ見学に行った時にいろいろポスターをいただきましたので、そのポスターを理科室に貼りました。デフリンピックという言葉を小学部以上は100%の生徒が知っていることになります。ポスターは中国語と英語で書いてありますので日本語をつけて、皆さんが100%分かるというようにしました。学校の方はそういう動きですね。幼稚部は分かりません。

大杉 ポスターという話が出されました。生徒は「デフリンピック」の言葉を見たような気がするけれど内容が分からない・・・ということもあるかもしれませんね。みなさんはいかがでしょうか?普及のための方法、なにか全日本ろうあ連盟スポーツ委員会委員会でこういうものを入れて欲しい、ここが足りないなどあれば出してください。いかがでしょうか?

フロア1 日本ろう者スキー協会です。3月22日~28日まで第2次強化合宿を行います。スノーボードです。その時、旭川ろう学校が近かったので子供達に対して無料でスノーボード教室を開く計画を進めています。他にもラグビー・スキー技術等の競技団体では同じようなことをやっているところもあると思います。そのような形でもっと積極的にろうの子供達に対してPRを兼ねて育成するということを進めれば良いと思います。

 もう1つは選手役員の皆さんの中には地域で手話講師をされている方も多いと思います。私も同様で小学校から手話講師の依頼を受けております。そのような場を積極的に活用して、そこに出向いて自分がやっていること、デフリンピックのことも併せて話をしたら良いのではないでしょうか。いただいたパンフレット大変良ですね。これを配ってPRをしたら更に効果的で良いのではないかと思いますがいかがでしょうか。

大杉 ろう児を集めて指導する、またパンフレットを活用する、サークルなども含めて広めていくという方法をご紹介いただきました。他にはいかがでしょうか?

フロア2 日本ろう者水泳協会です。私は地元の小中学校で手話指導をしております。その指導のときに「デフリンピックが今年開催されるのは知っていますか?」と問いかけます。みんな知らないと答えます。これは当然のことですね。オリンピックやパラリンピックは知っています。でもデフリンピックって何?という子供達が多いんです。ですから指導する聾学校のいろんな時に手話指導だけでなくデフリンピックについても教える。例えば自分が選手であったこと、そこでメダルを取ったことなど経験談の話をする。子供達は非常に憧れを持つ、興味を持つ。それが1つのきっかけになるのではないかと思います。もう1つ、体育授業がありますよね。そのときに「デフリンピックについて」というテーマで勉強するという方法もあるのではないかと思っています。

大杉 いま、体育連盟の理事長、松田さんが「なるほど」というリアクションをされました。(笑)。「分かりました」と今おっしゃられました。他にはご意見ないでしょうか?あと2人ほどにご意見をいただく時間がございます。

フロア3 こんにちは。平塚ろう学校で働いております。女子バレーのスタッフを務めております。宜しくお願い致します。ろう学校とは別に難聴学級やことばの教室に通っている子供たちもいます。通常の学校に通っているろう難聴の子どもたちにもデフリンピックを知ってもらうことが必要です。そのためにも難聴学級やことばの教室にもPRしていく必要があると思います。私が担当しているのは通級です。通常の学校に通っているろう難聴の子どもたちが週に1~2度通級の指導を受けます。私が担当していた子供たちの中にはサッカー・陸上・バレーボールをやっていて、デフリンピックがあることを話します。頑張って陸上競技を続けている男子生徒がいますので、こちらにいらっしゃる陸上の役員の方と、どのように引き合わせたらよいか相談しました。

 自分ができるなかでPRしていきたいと思います。通常の学校に通っている、ろう難聴の子供たちの中には力を持っている子がいるかもしれません。その子たちを発掘していくか。デフリンピックを知ってもらい、ろうの仲間を増やし、ろうの世界を知ってもらい、一緒にやっていくようなことについても考えていただきたいと思います。

大杉 ありがとうございます!もう一名いませんか。

フロア4 日本ろう者バドミントン協会です。日本ろう者バドミントン協会として失敗が1つあります。それは、デフリンピックが終わり帰国した後、メダルは取れなかったけどとにかく頑張りましので、デフリンピック報告会のために選手は自分が卒業した聾学校へ行きました。後輩がたくさん並んでいます。本人は緊張のあまり固くなってしまい、話しの内容が非常に乏しくなってしまいました。個人で話す分にはとても良いのですけれども、大会のように人がたくさん集まっている場で話すというのは難しいですね。でも本人もどこまで話していいのか分からなかったらしいのです。「僕はドイツに行った。世界ろう者バトミントン大会に出た。すごい、すごい。終わり。」それだけだったのです。

 つまりバトミントンは上手だけれども話し方の問題というか、下手とはいいませんが話し方の工夫が必要です。マスコミ取材も出来なかったということです。それも指導が必要かなと私は反省しております。話すというのは非常に大事です。みなさんが関心を持たれる話し方をすれば、生徒は「ああ素晴らしい、僕もデフリンピックに出たい!」という想いを高めます。しかしただの報告で「デフリンピックがあった。終わった」というだけではやはり関心はなかなか育ちません。

 もうひとつ、協会の役員の皆様も講演の方法を工夫して欲しいと思います。私がうまいとは言いませんが、講演がだらだらしていて的を得ない。まとまらない講演です。自己紹介自己アピールばかりして、肝心なところがなかなか伝わらないという状態なので、やはり我々役員も勉強しなければなりません。話し方の勉強が必要です。まず何を言うのか、「起承転結」の勉強をする、研究をしなければならないと思います。以上です。

大杉 確かにとても大事なことですね。まだ一人が手を上げられていますので、最後ということでよろしくお願いします。

フロア5 一言言わせていただきたいと思います。私の場合、2年前、冬季デフリンピックから帰国した後、いくつか講演依頼がありました。その中に全国ろうの子供の集いという500人以上集まった会がありました。喜んで行って、デフリンピックについて講演と説明をしたのですが、そんなの知らなかった!知らない!という声がかなりあがり、大変ショックを受けました。そして大いにガッカリしてしまいました。スタッフに「聾学校の先生方はデフリンピックを知っていますか」と尋ねると先生方も知らないという回答でした。益々ショックをうけ、それがきっかけで全日本ろうあ連盟スポーツ委員会にこれは問題だと提案しました。そして色々と対応をして頂き、今のようにパンフレットが出来上がったきっかけになったわけです。ですからその時感じたのは山根委員長が話したように、健聴者たちにとって知名度が低く、まだ知られていないのは我々のPR不足、啓蒙活動不足で反省も必要と思ったり、知名度が低い現実に対して失望しながら我慢してきました。しかし同じろう同士も知らないということに対して非常にショックを受けたし、とても我慢出来ないぐらい悔しい気持ちになっています。ですから健聴者よりまずろう学校の関係者、まず足もとから、ろうの子供、その両親、先生からスタートして充分普及していったほうが、健聴者にも広まりやすいのではないかと思います。今日のセミナーをきっかけに聾学校では100%普及するということをご指導いただければと存じます。以上です。

松田 ごもっともです。

大杉 「ごもっともです」と松田さんからお言葉がありました。国民30%を目指す。ろう者、聾学校で100%を目指す。どちらが大切か。やはり聾学校のほうだと思いますね。そのあたりについてはスポーツ委員会でも話し合っています。皆さんからいろいろとご意見いただきました。皆さんのご意見をもとに、及川先生にアドバイスなどをよろしくお願い致します。

及川 デフリンピック周知の良い方法、すぐに効果が出る方法は私にも思いつきません。今思い出したのですが、確か大杉先生が代表になっていて聾学校を回って防災講習会をやっているような話を聞いたことがあるのですが。例えば同じようなことをデフリンピックでやるというのは難しいのでしょうか?1校1校行くのはお金がかかるので例えば東北単位とか関東単位というくくりで取り組むのも1つかと思います。もう1つは、さっきの議論を聞いていて、あっそうだ!と思ったのですが、「全国難聴児を持つ親の会」という組織がありますよね。私も以前に自分で頼んで原稿を載せてもらったことがあります。9月にデフリンピックがあります。今は2月ですね。頼んで原稿を書いて載せてもらうというのはどうでしょうか。入っているメンバーだけなのですが。みんなではないのですけど、おそらく無料で配ってくれると思います。だから良いPRになるかなあと思います。そういう方法はどうでしょうか?会長・副会長もよく知っている方ですので、スポーツ委員会から頼まれれば、私から依頼してみます。私は今回のような集まりが出来たこと自体が素晴らしいと思っているのですよ。ですから1年に1度位、デフリンピックが終わった後もこういう会が続けて出来れば良いなと思います。大杉先生から紹介してもらったホームページ。私も少し見ましたけれど非常に素晴らしい。私の研究の参考になる(笑)。私も協力して全部入れたいなと思います。非常に期待しています。まとまらない話ですいません。(拍手)

大杉 及川さんには今日お越しの全国聾学校体育連盟の松田理事長をご紹介していただいきました。お二人に来ていただいてそれぞれの立場からご報告をいただきましたおかげで、内容が濃くなりました。デフリンピックをもっと広めよう、そのためにどうしたら良いのか、皆さんから貴重なご意見をいただきましたので、効率的な方法を考えて皆さん一緒に活動していく。そして聴覚障害を持つ子どもが競技を通してデフリンピックへの道を作っていくようになればよいなと思っております。最後に、今度台北でデフリンピックがあります。そのことをおそらくこの会場にいる参加者の皆さんはご存知ですよね?実は昨日までシンポジスト4人の中の1人がご存知ではなかったのです。それを聞いて私は非常にショックを受けました。まあ個人的なことですけれども。スポーツ委員会としても体育連盟に対してこういうことがあるという情報の提供、コミュニケーションの働きかけがない状態が続きましたので、組織としても考えなければならないと思っています。最後にシンポジストの皆様より、台北2009に向けて、今から私は何をやるのか、応援をする、など順番に一言ずついただければと思います。

 2009台北大会に向けて、私は今回、選手でもなく役員としての係わりもありません。応援という立場で日本の聞こえない人達が向こう(台北)で燃えるような試合をしてくれるように何かの形で日本から応援したいなと考えています。今、候補選手として頑張って練習している選手も自分は日本の代表だという自覚を持って、より一層練習に励んで欲しいと思います。とにかく今必要なことは代表バレーに対する「ひたむきな姿勢」です。デフリンピックまで、どのくらい必死に練習に取り組んでいくか?その「ひたむきな姿勢」がこれから問われてくると思います。女子バレーボールは前々回、前回ともメダルを獲得しています。台北大会もメダル獲得が期待されています。重圧がのしかかってくると思いますが、「勝った」「負けた」という結果を求めるのではなく、感動させられるプレーを日本中の子どもたちにみせてください。

 頑張ってください。楽しみにしています。有難うございました。

篠原 聾学校に帰ってデフリンピックの授業をやります。聾学校の先生が会場に何人かいますね。みなさんも一緒に授業でデフリンピックのことをやりましょう。

松田 今、ここに穴があれば入りたい気持ちです。さきほどから皆さんからご指摘されたことについては弁解の余地もございません。私たち体育活動に関する指導者が充分に把握していない事には生徒たちに理解させることはできないと思います。今回セミナーに参加させていただき私自身、全国聾学校体育連盟理事長として非常に反省をしています。またセミナー開催の案内状を全国108校の聾学校に発送していただき本当にありがとうございました。案内状に目を通すだけでも聾学校関係者に対してデフリンピックの知名度があがったと思っています。今年の5月に全国聾学校評議委員会がありますので、そこで今日皆さんからご指導頂いたことを肝に銘じ、私の命にかけて全国の聾学校職員にデフリンピック啓発活動を徹底するよう指導いたします。お約束いたします。最後に先ほど団長さんからお話があったように今年の大会で是非30、40個のメダルを獲得して来てください。そして全国の聾学校の生徒たちに希望と夢を与えるようにお願いしたいと思います。それでは皆さん頑張ってきてください。

及川 自分が出来る範囲で科学的に研究を進めたいと思っています。それが結果的に日本のろうスポーツの力の向上になればいいなというのが今の考えです。たぶん出来ることは少ないですけれども頑張りたいと思います。台北の代表の人は是非頑張ってメダルを取って欲しいと思うのですけれども。プロ野球選手ですら何が一番大事だと問われると「精神力」と言うのですね。技術があるから逆に・・とも言えるのですけれど、気持ちというのは非常に大事だと思うので是非日本を代表しているという気持ちを持って頑張っていただきたい。以上です。(拍手)

大杉 以上でシンポジウムを終わります。続いて中澤啓発普及事業部長、デフリンピックの普及取組みの司令塔、中澤さんにシンポジウムで出された課題などをまとめてもらい、今後の方針作りに結びつくようなことを話して欲しいと思います。朝からのセミナー内容も加味してご報告ください。シンポジストの皆様本当にありがとうございました。そのままでお聞きください。

中澤英明(全日本ろうあ連盟スポーツ委員会啓発普及事業部長)

 みなさん長時間お疲れ様でした。来ていただきありがとうございます。今日1日のために、昨年5月から計画をして参りました。全部で3回打ち合わせを行いました。メンバーはスポーツ委員会の国際事業部3人、啓発普及事業部2人。5人が一緒に議論をしてきただけではなく、パンフレットを作り、ホームページを工夫し、セミナーを成功させるために色々積み重ねてまいりました。午前中は太田氏・松島氏・粟野氏、そして短い報告でしたが、9スポーツ団体の皆様からご報告をいただきました。全て充分に発表することができました。午後は少し時間をオーバーしましたがシンポジウムをやっていただいてとても充実した1日だったと思います。本当にみなさん有難うございました。

 太田氏からは3つのマルの話しがありましたね。デフリンピック・ICSDという4文字ではなく3文字に短くするというお話がありました。将来的に国際スポーツの改革を目指して頑張っていくという話でした。皆さんもご一緒に頑張っていただきたいと思います。

 またパンフレット・ウェブサイトのポイントを話していただきました。皆さんここで分かっただけでなく、地元に帰られたあとそれぞれ地域のみなさんへ教えていただきたいと思います。このパンフレットはいろいろなところへ説明に行ってボロボロになるまで使って欲しいと思います。日本聴力障害新聞3月号はそろそろ出来上がると思いますので、4月号でウェブサイトのアドレスを載せて周知をお願いしたいと思っています。地元のろうあ協会の新聞にも載せて、また競技団体のウェブサイトとリンクが出来るように1人でも多くに広めていただきたいと思います。真ん中のロゴマークを決めたのは、先ほどの説明で驚かれましたよね。元自転車競技選手でしたね、そういうウラ話も含めてPRしていただきたいと思います。またこのパンフレットは予算の都合で3万部しか作っておりませんが、ウェブサイトからダウンロードして配布できますので覚えておいてください。

 シンポジウムではそれぞれのろう教育の現場で働いている皆様から様々なお話を伺うことが出来ました。しかも上映された色々な映像・写真を見て皆さん感心されたと思います。聾学校の卓球と陸上、昔を懐かしむだけでなくバスケットの写真、日本が外国と身体の差があるとか体格ではなく、気持ちを育て行けば日本も追いつけるのだという話がありましたように皆さん地元に帰られたら若い人たちを育てる必要があると思います。

 いま、Yahooでスペシャルオリンピックを応援していますね。台北デフリンピックを応援しようというバナーがYahooでアップされるように頑張ってもらいたいと思います。また子供達に夢を育む、パンフレットの一番下の標語ですね。小さいころから聾学校にいる子供達にパンフレットを配って、育っていくことを期待したいと思います。国際経験を積んでメダルは、ローマ大会が20個、メルボルンは減って11個ですが今度の台北は30、40、50を目指して盛り上げ理解を広めていく。認知度2%を50%、100%と国民の理解を広めていくということがとても重要だと思います。今日1日いろいろ聞かれたことを地元に帰って広めていただきたいと思います。これで私のまとめとさせていただきたいと思います。今日は1日ありがとうございました。

大杉 最後になりましたが、山根委員長から「頑張ろう」のシュプレヒコールをお願いしたいと思います。

山根昭治(全日本ろうあ連盟スポーツ委員会委員長)

 それでは「頑張ろう!」を皆さん一緒に三唱したいと思います。

 まず1つはデフリンピックの普及について、特に聾学校の子供達が100%知り、併せて国民の20%、30%の普及率を目指すこと。そして9月の台北大会に出場する選手が頑張ってメダルを20、30、40個と獲得し、聾の子供をはじめ国民に感動を与えるように願って「頑張ろう」を三唱したいと思います。

 それでは皆さんご起立ください。

 では宜しいですか?台北デフリンピックに向けて日本選手益々の活躍、メダル獲得を目指すこと、国民にデフリンピックを知ってもらい応援してもらおう!

 頑張ろう!頑張ろう!ガンバロー!!有難うございました。(拍手)