『通信不可の状況下で・・・』



 社団法人宮城県ろうあ協会機関紙「聴障宮城」に掲載された実際に地震・津波にあわれた方々の体験談をご紹介します。ぜひお読みください。(文章は原文のままです。掲載につきましては同協会の許諾を得ています。)

『通信不可の状況下で・・・』(2011/12/13掲載)

石巻市 Hさん

 3月11日、私は夜勤明け、息子もたまたま学校が休みで家にいました。娘は仙台に遊びに出かけている最中、妻は石巻市内の仕事場にいる時に、あの大震災は起こりました。

 妻は仕事を終え、帰り支度をしている最中でした。大きな揺れ…その後、津波の放送が鳴り響く中、職場の聴者から津波がくることを知らされ、バッグを持ちバスに飛び乗りました。

 しかしこの緊急事態。道路は大渋滞です。橋付近で動かなくなってしまったバスの中で、妻は降りるよう言われ、高台へ避難しました。

 そして、津波が町を襲ってきたのです。妻は高台の神社があるところで不安に押し潰されそうになりながら、事態がおさまるのをひたすら待ち続けました。

 はじめに、妻から私へ居場所を知らせるメールが来ましたが、その後は電池が無くなり、通信は途絶えました。いつ戻るのか、大丈夫なのか…不明なまま時は過ぎ、3日程経ってから、ようやく妻と再会できました。

 娘も、仙台市若林区で避難していたそうで、一週間後やっとメールで無事を確認できました。

 職場は津波の被害を受けたため、妻は職を失いました。現在求職中ですが、あきらめずに努力していきたいと思っています。