『津波と共に消えたあの夢・・・』
社団法人宮城県ろうあ協会機関紙「聴障宮城」に掲載された実際に地震・津波にあわれた方々の体験談をご紹介します。ぜひお読みください。(文章は原文のままです。掲載につきましては同協会の許諾を得ています。)
名取市 Hさん
東日本大震災は、未曽有の災害で、壊滅的な被害をもたらしました。
周囲の人々の大変な苦しい状況に、私は心を痛め、泣きました。この地域では、以前浸水したことはありましたが、このような津波は初めてでした。現在、私は87歳。理容店を営み、長い年月が過ぎました。
3月11日、店から程近い老人ホームへ行き、入った途端、地震が発生しました。どうしたらよいのか戸惑っていると、皆に呼ばれてバスに乗り込みました。そして、5階建てのビルに着き、皆で歩いて上へ。
外を見ると、巨大津波が全てをのみ込み、押し寄せてくるのです。「私の店や家は…ああ…もうダメだ…」と落ち込みました。
その後、息子が確認のために来たので、私は仙台市に住む娘の家に連れて行ってもらい、泊まりました。私の家族の中では、息子の嫁が亡くなりました。本当にショックで涙があふれます。
私が独立して第1号理容店をオープンさせたのは、昭和23年4月28日。24歳の時でした。宮城県立盲唖学校に理髪科が設置され、理容の道を選びました。
独立してからも環境的に恵まれていましたが、夜12時まで残業したこともあり、本当に苦労しました。その頃、台風の影響で店舗が浸水したこともありました。
そして、2代目の息子夫婦が経営を引き継ぐことになりました。孫も理容の見習いとして頑張っていた矢先の震災。その次に継ぐのは孫か、未来の3代目か、と期待に胸を膨らませていました。
しかしその夢も津波とともに流れ去ってしまいました。通帳などの貴重品や写真、いろいろなものも無くなりました。
今は本当に何も言えず、苦しさで胸が締めつけられます。