『生涯で最高に苦しい経験』



 社団法人宮城県ろうあ協会機関紙「聴障宮城」に掲載された実際に地震・津波にあわれた方々の体験談をご紹介します。ぜひお読みください。(文章は原文のままです。掲載につきましては同協会の許諾を得ています。)

『生涯で最高に苦しい経験』(2011/09/13掲載)

石巻市 Kさん

 3月11日の午後、私は自宅の居間でテレビをのんびり見ていました。すると今まで居た猫が一目散に2階へと走っていきました。今思えば、猫は動物的な勘が働いたのでしょう。その直後の午後2時46分、ドン!という下から突き上げられるような強い振動の後、激しい横揺れ。大きな衝撃を受けました。私はとっさに大切なテレビを押さえました。上から物が落ちてきました。

 揺れがおさまり、妻の事が気がかりでしたが、探しに行きたい気持ちをぐっと堪え、帰りを待ちました。妻が午後1時頃家を出て、歩いて銀行に向かったことは知っていました。

 妻は、銀行の窓口で引き出し受け取った瞬間、被災。事務員の女性は、いつも妻がここを利用するのを知っており、妻に向かって身振りで「待って」と伝えました。10分程後、もう大丈夫と言われ、自宅が心配で妻は帰りました。その銀行は災害対策等は整備されていない様子でした。

小学校へ 手話のできる女性と再会

 午後3時頃妻が帰宅。家の中は倒れた物が少なく、思いのほか大丈夫でした。その後、リュックに色々と詰め、2人で歩いて2分程の中里小学校へ避難しました。

 小学校の中は大混雑。皆、何か話しているようです。すると、手話が少しできる女性と偶然会うことができ、お互いの無事を喜びました。また、彼女はその都度、音声情報を私たちに伝えてくれました。

 30分後、向こうから津波が。彼女から知らされ、その時初めて津波が来たことを知りました。皆、1階にいたので、2階へ避難。午後5時頃、自衛隊のヘリコプターが到着し救援物資が届きました。停電で暗闇の中、おにぎりが配られ、2人で分け合いました。そしてその夜、知り合いが津波で亡くなったことを彼女が教えてくれました。

 翌朝、辺り一面は海水で、その光景に驚きました。私達は「たこ」「まこ」という猫2匹を飼っています。地震の後、どうしているのか、テレビは家はどうなっているのかと、とても心配でした。しかし、帰宅は認められず、4日間、水位が下がるのを待ちました。避難生活の間は手話のできる女性と共に行動しました。食料の配給はありましたが、パンもおにぎりもバナナも水も、常に夫婦で1つでした。

 その後、ボランティアに筆談で話したところ、帰宅を認められました。

やっと帰宅 市役所通い開始

 家に帰ると、海水が引いたばかりで、床はベトベト。水位は110cm程で、泥が混じった海水の臭いはきつく、汚れた物などは処分しました。2匹の猫も名前を呼ぶと、すぐに降りてきました。幸いなことに、テレビもテレビ電話も被害はなく、特にテレビ電話はろうあ協会との通信に欠かせないのでほっとしました。手話サークル関連のものは海水で濡れてしまいましたが、大切な写真等は以前からラミネート加工を施していたので、水浸しになっても無事なものもありました。災害ボランティアは無料と聞き、畳はがしや泥かきを依頼しました。4月7日の大きな余震後も、その作業は続きました。

 そして家に戻ってから、私は市役所へ毎日休みなく通い始めたのです。生活の不便な点・不満が色々とあった為です。停電や携帯の事、家の損壊の実情を市役所に話しました。り災証明、電気等の損壊箇所、保険等について、これらを市役所に申し入れました。全国各地から交代で応援に来た手話通訳のおかげで、スムーズに話し合うことができ、感謝しています。

 現在は全国からの応援・設置通訳者の期間が終了していて、期間を延長して欲しいと思います。石巻市役所に1人では、業務の負担が重く大変です。

これからの生活

 ライフラインが復旧すると、好きなニュースやドラマを見たい気持ちや、ガスが出るからもう調理に気をつかわなくて済むという安堵感がありました。友人達の協力で上品などまでお風呂に連れて行ってもらった事を覚えています。

 しかし、現在の生活は未だ「元通り」とはほど遠い状態です。周囲も本当に忙しく、家の修理などの予定も延び延びになっているのです。早く家を直してほしいです。また、震災後は家の事で精一杯だったので、ろうあ協会の皆と会いたいです。救援宮城本部からは支援物資を頂きました。石巻の友人とは、無事に再会できて良かったです。

 津波は、妻も私も経験がなく、今まで一番苦しい生活を体験しました。困ったことといえば、食料・水の不足でした。妻は風邪をひきました。また、寝不足やストレス太りなど、体調不良も問題でした。続く余震に神経をとがらせていると、疲れもたまります。

 今回の震災では、全国からの応援、また海外からも支援を頂き、本当に感謝しています。