『地下鉄泉中央駅2階 歩くのがやっと』



 社団法人宮城県ろうあ協会機関紙「聴障宮城」に掲載された実際に地震・津波にあわれた方々の体験談をご紹介します。ぜひお読みください。(文章は原文のままです。掲載につきましては同協会の許諾を得ています。)

『地下鉄泉中央駅2階 歩くのがやっと』(2011/07/01掲載)

仙台市 Hさん

 突然…足元がつき上げられるようにコツコツ…ガタガタ!グラグラグラグラ!!これは大きい!とっさにカバンを頭に載せ、近くの店の机の下にしゃがみこみました。長い!5分間ほど、後から後から前後左右に振り回されるかのように本震が続く。店の天井の鈴蘭シャンデリアが振り回され、ガラスが壊れ落下し始めましたが、揺れはまだおさまりません。

 店員が客を一人ずつ誘導して、外のペデストリアンデッキに連れ出し、私も皆のあとについて外へ出ましたが、まだ揺れは続いていて歩くのがやっとという状態。そして足元を見て驚きました!歩道のタイルが魚の鱗のように一枚一枚の端と端がめくれあがって突出して歩くのが危ないのです。メガホンを持った男が何か叫んでいて、私は耳が全く聞こえないので、他の群衆の後について移動しました。

 群衆は泉区役所前広場に集まってきました。何の指示もなくその場にいる間、ふと考えました。こんなに大きい地震は昭和53年の宮城県沖地震の前にも後にも経験しなかった史上空前の出来事なのだと。停電・断水・交通網がストップ。どうやって帰ろうか…。いつの間にか群衆は少しずつ移動を始めて宮交バスの停留所に並んでいます。バスが来た!助かったと思いましたが、残念ながら私の3人前で満員となり、出発してしまいました。そのうちに雪が降り始め、北風が強く吹く吹雪となりました。80歳の老人が、うまくこの危機を乗り越えられるのだろうか…。神様か仏様か、私が思わず手を上げたタクシーが止まり、前の3人と一緒に乗り込みました。その3人はジェスチャーで北仙台までで、県庁廻りだとのこと。私は乗車賃を支払い、上杉廻りで他の群衆と共に徒歩で仙台駅を目指しました。その後日没となった暗い道を歩き、福祉プラザの救援受付に辿り着き、自宅へのFAX依頼をしたものの不通。警官の誘導でタクシーを止めて乗ったところ、古城の辺りは津波と聞き、行ける所までということで、やっと自宅に着いたのは、夜の9時過ぎでした。