『近所の有難さと情報不足の現状の二面性』



 社団法人宮城県ろうあ協会機関紙「聴障宮城」に掲載された実際に地震・津波にあわれた方々の体験談をご紹介します。ぜひお読みください。(文章は原文のままです。掲載につきましては同協会の許諾を得ています。)

『近所の有難さと情報不足の現状の二面性』(2011/08/16掲載)

大崎市 Sさん

 私は地震発生時、大崎市民病院のエコー検査結果待ちで待合室にいました。手話通訳者と妻恵子と3人で壁にすがって地震がおさまるのを待ちましたが、院内はパニック状態となり騒然としていました。その後は、車で自宅(上二郷)まで何とか帰ってきました。それからは、家中の散乱物を片づけたりしましたが、水や電気がない生活は大変でした。始めの頃は近くの親戚や隣家の方が水を持ってきて下さいましたが、その方々の情報で、砂山(下二郷)の給水所に行ったり、2回目以降は佐野(中二郷)に行きました。食べ物は、区長さんと隣家からおにぎりを頂きました。避難所には2人で1泊しましたが、配給などの情報が(耳が聞こえない)分からなく、みんなが並んでいる時など周りを見て真似をするだけでした。アナウンスはされているが分からない、黒板などに書いてもらえれば助かるなと思いました。防災無線の情報は聞こえないので、隣家の方から情報を頂きました。FAXやメールからの情報も停電や電話回線が不能のため、近隣の方からの情報が有難くとても助かりました。町からのFAXは通電してから届きましたが、その前に情報提供を兼ねて顔を見せて頂けたら、なお有難かったです。