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全日本ろうあ連盟スポーツ委員会による和訳(2009/03/04 掲載)

ICSD eNews 和訳版 2009年02月号

  (ICSDウェブサイトの原文)

目次(一部)

技術委員からのメッセージ:スノーボード

(前回のeNewsの続き、第2弾)

パイオニアたち

スノーボード種目のパイオニアは、間違いなく、ジェイク・バートン・カーペンターと言えるでしょう。彼は、スナ―ファー(Snurfer)を自らの設計で常に改良し続けました。ボードをよりしっかりと捉えるために、足輪付きの調整可能なゴムベルトを装着し、ラミネート加工をした木製シフトから製造された最新のボードを使用しました。

ついに、1977年に、ベルモントに自らの工務店を立ち上げ、自製品を作ることを決意しました。しかし、スナーファーの発展に意欲を燃やしているのは、バートンだけではありませんでした。ディミトリフ・ミロビッチとトム・シムスも彼らの設計によって、スノーボードの発展に重要な功績を残しました。

ニューヨークのエンジニアであるディミトリフ・ミロビッチは、スワロー・テールの発案者です。V型の切込みの入ったテール部分は、さらにパワフルな滑りを生みます。しかし、彼の製造する板(Winter sticks)は、小売価格$255とかなりの高額でした。当時にしては、かなりの高額だったため、1984年に会社は破産申告をしなくてはなりませんでした。

1977年のスケートボード世界チャンピオンで、熱狂的なスナーファーであったトム・シムスは、自分の人気を利用して、スノーボード・プロデューサーという新たな分野に進出しようと考えました。コロラドで、最初のスノーボード競技大会が行なわれた1981年の春、強化スチールで縁を作ることで優れたスノーボードを設計し、トム・シムスは、スノーボードで優勝しました。

次回eNewsへ続く

マルコ・ガルマリーニ