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日本ろう者のスポーツ歴史 ~差別との闘い~

第2部 ろうあ者のスポーツ権獲得への闘い


1、過去における差別の実例

(1)ろう学生の地区大会出場権を剥奪

遠藤宗志選手
遠藤宗志選手
 1967年5月、千葉県高等学校陸上競技大会で、東京教育大学(当時、現筑波大学)付属ろう学校高等部3年生の遠藤宗志君(18歳)が、・男子100M決勝11秒4、200M決勝22秒6の好タイムで2種目に優勝した。
 この大会の各種目の上位入賞者は、上部レベルの関東地区高等学校陸上競技選手権大会への出場権を与えられることになっていた。遠藤君は、関東大会に出場できるものと信じて疑わなかったが、全国高等学校体育連盟は6月17日、遠藤君の関東地区高等学校陸上競技選手権大会への出場資格を取り消す決定をした。
 資格取り消しの理由は、遠藤君が普通の高校でなく「ろう学校」の生徒であることであった。
 ろう学校生徒の参加を認めない具体的な理由について、全国高等学校体育連盟は「ろう生徒は耳が聞こえない。聞こえないと危険が伴う。コール(選手の招集)など大会運営上も支障をきたす」と説明した。

(2)ろう学校であること理由に地区大会出場権認めず

ユニホーム姿で抗議の観戦
ユニホーム姿で抗議の観戦
 1974年7月、全国高等学校軟式野球大会福井県予選大会の決勝戦で、福井県立ろう学校が県立武生高校池田分校を破り、初優勝を飾った。
 福井ろう学校ナインは「次は北陸地区大会出場だ!」と躍り上がって喜んだが、試合の直後に福井ろう学校の監督が福井県高等学校野球連盟の役員に呼び出され、「ろう学校は北陸大会に出場できない」と宣告された。
 上部クラスの北陸地区大会への出場権について、福井県高等学校野球連盟は県大会優勝校である福井県立ろう学校を県代表と認めず、準優勝の高校を県代表として認め、北陸地区大会の出場権を与えた。
 理由は、連盟の規定により、普通の高校であれば出場権が与えられるが、ろう学校には認められないというものであった。
 このことを知った父兄や関係者から批判の声があがり、全日本ろうあ連盟や日本ろうあ体育協会は、日本高等学校野球連盟に抗議した。
 全国から抗議の電話や手紙が殺到し、日本高等学校野球連盟はついに、福井ろう学校を北陸地区第二代表と認め、8月に大阪・藤井寺球場で開催された全国高等学校軟式野球大会への特別出場を認めた。

(3)日本高等学校野球連盟によるろう学校差別

北城ろう学校野球部
北城ろう学校野球部
 1978年に設置された沖縄県立北城ろう学校は、1964年から65年にかけて風疹児童が大量に出生したことに対応して特設された中学・高校6年間限りの学校であった。
児童たちが高校生になった1981年4月、野球部が結成された。部員16人・全員1年生のチームである。張り切って、全国の高校球児の夢舞台である「甲子園」を目指すことになった。
 ところが、日本高等学校野球連盟から、ろう学校であることを理由に加盟を拒否された。その根拠になっているのは、「日本学生野球憲章」という規定であることが分かった。
日本学生野球憲章 第3章 
高等学校野球 第16条
「それぞれの都道府県の高等学校野球連盟に加入することのできる学校は、学校教育法第4章に定めるものに限る」
 ろう学校は学校教育法第6章に規定されていて、第4章に定められた学校ではないから、加盟できないと言うものである。
 たまたま沖縄に取材に来ていた「日本聴力障害新聞」記者がこの問題を取り上げ、スクープ記事を発表。記事は世論の大きな反響を呼び起こした。全国の国民から抗議の電話やFAXが日本高校野球連盟に殺到した。
 そのあと、連盟は、ついに北城ろう学校の加盟を承認した。
 そして今、当時のドキュメントに感動した横浜市の難聴の少年が成長して、「ろう者のプロ野球選手」第1号(中日ドラゴンズ・石井裕也、背番号30=入団当時)となり、活躍している。ろう児童に「耳が聞こえないと危険だから」と野球をさせようとしなかった措置が、明らかに誤りだったことが証明されたのである。
(執筆=松島謙司・全日本ろうあ連盟スポーツ委員会啓発普及部委員)

【参考文献】
財団法人全日本ろうあ連盟50年のあゆみ』(全日本ろうあ連盟発行)
『ろう者野球50年』(日本ろうあ体育協会発行)

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