東日本大震災聴覚障害者救援中央本救援物資運搬号より報告!



26日~28日までの様子について運搬号の三人から報告をいただきました。
 


現地の救援物資の様子

救援物資の整理と配分準備

救援物資の整理と配分準備

2011/03/26 (土) 19:03
 
吉原です。
夜6時、無事に宮城県仙台に着きました。
物資もワゴン車も無事に宮城県本部へ手渡しました事を報告します。
 
2011/03/27 (日) 7:57
  
宮本です。
おはようございます。
昨日3/26(土)正午頃に全日ろう連本部事務所を発ち、国見と村田でガソリン補給、夜6時半頃に、宮城県障害者福祉センターに到着。
吉原さん、江原さん、私宮本の3人共、元気です。
宮城県ろうあ協会の事務所には、地元のろう者や健聴者の協力が15人ほど来ていました。
救援物質を届け、大変喜ばれました。
早速、今日から配分作業をして配布に回る予定だそうです。
 
まず、仙台に着くまでの間に気付いたことは、次の通り。
 
・どのガソリンスタンドも、限定給油が行われています。
 1台につき、2000円までです。高ければ給油量が少なくなります。
・缶やポリタンクの給油はお断りという看板を提示している店もあり。
・満タン給油には、緊急車両の申請が必要。
・郡山~福島辺りの高速道の路面は、ひび割れを修理したところが多くある。
 
そして、昨夜の、宮城本部の一日最後ミーティングに出席させていただきました。わかったことは次の通りです。
 
・仙台市内の内陸部の被害は大きくない。
・仙台市内の海岸部の被害が大きい。
・宮城県内の海岸部では、家や車を失った聴覚障害者や手話関係者が多い。
・昨日時点で電気はあるが、ガスがまだない。湯を沸かすのにコンロなどで代替している。
・緊急車両の申請のある車(ガソリン満タンOK)で動いている。
・倒壊した家の整理の救援要請が来ている。
・海岸部の各市町村の、設置手話通訳のような配備はまだできていない。
 
救援物質について、次の通り、要望が来ています。
・自転車
 (理由)今まで車通勤の人達は、津波によって車を失っている。
     自転車があると助かる。
・靴:特に、子供のサイズを揃えると有難い。

・被災地の各県内の施設、治療情報が流されているが、身体障害者関係はどうなっているか不明。
・被災地で、区外への転校に関する説明会が始まっているそうだが、手話通訳や要約筆記の対応がどうなっているか不明。
 
2011/03/28 (月) 8:05
 
吉原@関東ろう連盟事務局長です。
先程、7時24分に地震がありました。
強い揺れで驚きましたが、今は落ち着いています。
 
さて、昨日の活動ですが、今朝ワゴン車のガソリンが半分以下になっており、遠い地域へ物資支援活動する予定なので、満タンしなければならないと思い、朝ガソリンスタンドへ探し回りました。
緊急車両用とは別に、一般給油のガソリンスタンドもあり、ガソリン切れの為、臨時休業もありました。
私は宮城県緊急車両許可証があるので、緊急車両用のスタンドへ50分くらい並んでようやく給油してもらいました。
一般車両のガソリンスタンドは、吉原も群馬で同じような雰囲気で2Km位行列していましたので、一般のろう者もなかなか給油出来ないという実感が伝わりました。
 
10時半過ぎに宮城ろう協会事務所に着きました。
皆、明晴学園からの支援物資の仕分け作業を屋外で行っていました。
私たちは事務局会議を行う予定でしたが、人数が少ない為、物資仕分け作業の手伝いを行い、結局、夕方の6時まで物資の運搬等も行いました。
 
支援物資ですが、同じ物をまとめた箱もありましたが、いろんな物が入っていた箱が多数あった為、仕分け作業が大変でした。
物資支援担当として見ると、被災地本部の負担がかからないように同じ物を一つの箱にまとめて入れるようにしなければならないと実感しました。
結局この日は物資支援の仕分作業を行った為、被害された会員への物資支援活動は出来ませんでした。
 
夜6時から事務局会議を行い、色々と話し合いました。
今日は、緊急救済者としての高速バスの予約が取れたので、9時半の新宿行きのバスに乗って帰ります。
 
2011/03/28 (月) 8:11
 
おはようございます。宮本です。
今朝7時半過ぎに小刻みだが激しい縦揺れの地震。
随分長い揺れでした。
 
仙台では、昨日各戸のガス点検が始まり、早い地区では4月1日頃から使えるそうです。
仙台の皆さんが久し振りに熱い風呂に入れると喜んでいました。
2週間お風呂に入れずお湯で絞ったタオルでふいて辛い思いで過ごしたという方々が多いです。
 
吉原さんと江原さんは明晴学園発・経由の救援物質の仕分けに協力しました。
私は地元の人達からいろいろな話を聞きました。
地震発生後、すぐ停電、ガスなどのライフラインが全てストップ。
電気がつきはじめるまでの1週間位、テレビも電話ファックスもケータイも繋がらず、沿岸部の津波発生の情報はすぐ伝わらなかったそうです。
 
都会での地震後の生活は、2パターンに分けられると思いました
1.民家倒壊などのがれきが出ていると、燃料のまきとして使える。
   →鍋やボールを探し出せば、お湯を沸かせる。
2.耐震設計の民家やビルばかりの地域では、がれきが出ない。
   →燃料となるまきがないため、お湯を沸かせない。
   →ガスポンぺや固定燃料が必要になる。
 
昨夜、一日最後のミーティングで各々の報告と要望をを聞いた上、ワゴンの引継ぎを行いました。
 
以上
 
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