『震災から一年 季節はめぐり……』



 社団法人宮城県ろうあ協会機関紙「聴障宮城」に掲載された実際に地震・津波にあわれた方々の体験談をご紹介します。ぜひお読みください。(文章は原文のままです。掲載につきましては同協会の許諾を得ています。)

『震災から一年 季節はめぐり……』(NEW:2012/04/04掲載)

名取市 Wさん

 昨年3月11日のあの時の気持ちを、私は一生忘れないでしょう。苦しみを、心の痛みを、一言では言い表すことができません。震災から1年、体調のこと、生活のこと、本当にいろいろなことがありました。震災から3日後、津波の被害で2階のみが残った自宅を発見しました。仮設住宅の情報もなかなか入らず、4月に申請しているにもかかわらず、市役所からは一向に連絡が来ない状況で、私は焦燥感にかられ、市役所に訴えました。5月26日、やっとの事で仮設住宅へ移り、新生活がスタート。私は仮設住宅の状況を見て、車いす用の仮設住宅の増設も市に申し入れました。市役所は障害者に関する情報が不足していると感じています。また、手話通訳の設置に関しては、今後も設置期間延長を強く望みます。震災前・直後は市役所に手話通訳者がいない環境でしたが、災害下でその必要性を再認識しました。4月下旬頃からの設置により、申請手続き等に関して手話通訳者がいると大変心強いものです。

猛暑にうんざり 寒さ厳しい冬へ

 夏に入り、容赦なく照りつける陽射し。昨年は猛暑に見舞われ、室内は25度以上。窓を開けるとかろうじて室温は下がりますが、夜は防犯のため、窓は閉めなければならないとのこと。その代わりに冷房をつけましたが、なんとなく体に合わず、タイマーを付けた扇風機で夜は過ごしました。

 その後、私は体の都合で入院することになりました。妻を仮設住宅に一人残すのが気がかりでしたが、妻も妻なりに生活リズムを崩さず過ごし、私のいる病院にも何度も足を運んでくれました。病院は空調がきいており、そんな中、残暑をすごしたのです。

 10月下旬、つらい治療も耐え、仮設住宅での生活に戻ると、外の風は涼しくなっており、すっかり秋めいてきました。ふと見ると壁には水滴が。サッシに水がたまり、湿気がひどい状態でした。私は早速市役所へ向かいました。湿気のことをなんとかして欲しい、仙台市や岩沼市の仮設住宅では畳の部屋もあるというのに…と、市役所の担当者に伝えましたが、財政が厳しいという理由で、良い返事はいただけませんでした。「自分でやるしかない」そう思った私は、自ら湿気対策を施しました。正月、夜寝ていると、額に滴り落ちるものが。天井から水滴が落ちてくるのです。1年を通して仮設住宅生活の不便さをひしひしと感じ、やはり私の心の中にあるのは「閖上に帰りたい」ということです。海から吹くすがすがしい風が恋しいのです。ここは冬寒く、夏暑く、買い物をするにも不便、そして皆がてんでばらばらになってしまい、交流はめっきり減りました。

今後のことで 揺れ動く自分

 1月7日、私は名取市主催の津波についての集会に参加しました。元の場での生活の検討、高速道路付近への移住、津波対策として土台を高くする建築方法、集合住宅の建設等について話し合われました。住民からは、「水田が多く、地盤がやわらかいので、建設は難しい」との声があがり、元の場での生活を強く希望している方が多くいました。私も現在、長男と話し合い、今後のことを考えています。息子としては、仮設住宅での生活を終わりにし、今後は二世帯住宅で同居を、という考えを持っています。また、孫の学校の問題もあるでしょうし気持ちは分かりますが、家の場所が高台で名取市から離れるということに、抵抗感があることも否定できません。以前は孫がいつも私の傍にいて、顔を見ることができましたが、今はたまに会う程度。転校前の同級生に、今、孫はどうしているのか聞かれる度に、前は子供達が家でワイワイ集まっていたことが懐かしく思い出され、寂しくなるのです。今は、孫は転校先で友人ができ、楽しくやっているそうです。

 次男とは連絡を取っていますが、震災後は会っていません。毎年正月には名古屋から帰省するのですが、孫が生まれたばかりとのこと。今年の正月は、長男夫婦と私達夫婦で過ごすことができました。次男と会うことは叶いませんが、数年後、孫の顔を見たいと思っています。

 現在生活している仮設住宅は、当初2年間と決められていましたが、5年に延長されました。付近のアパート等は次々に入居者が決まり、埋まっているそうです。今後、市は復興ビジョンを策定し、来年から工事に着手していく見込みだそうです。家の再建を考える一方で、現在、震災の影響による住宅等の再建に対する施策によると、補助が可能かは金額に左右されるので、こういった点でも今も不安を抱えています。長男の気持ち、市の今後の動きの間で揺れ動いている自分がいます。

 震災から1年といえど、気持ちはまだどこかに置いてきているような感じがします。ですが、これからも負けずに頑張り続けたいと思っています。

Wさん夫妻、仮設住宅前で 震災直後のWさんの心境