朝日新聞社へ記事「すべての新生児に難聴検査を 先天性1,000人に1人/義務化した国も」について質問を送付



 2019年8月26日、朝日新聞社へ8月17日付朝日新聞デジタル掲載記事「すべての新生児に難聴検査を 先天性1,000人に1人/義務化した国も」について、質問を送付しました。

朝日新聞デジタルの掲載記事はこちらです(全文表示は会員登録が必要になります)
・9月18日追記:朝日新聞社文化くらし報道部より回答をいただきました
・9月25日追記:朝日新聞社へ「『朝日新聞デジタル』掲載記事に関する再質問」を送付しました

連本第190316号
2019年8月26日

株式会社朝日新聞社
代表取締役社長 渡辺雅隆様

一般財団法人全日本ろうあ連盟
理事長 石野富志三郎

「朝日新聞デジタル」掲載記事に関する質問

 当連盟は、全国の都道府県の47傘下組織を通じ約2万人のろう者が会員となり、ろう者の生活や人権を守り、福祉向上のために活動をしている団体です。

 先般、8月17日付けの貴社「朝日新聞デジタル」の有料記事において「すべての新生児に難聴検査を 先天性1,000人に1人/義務化した国も」というタイトルで新生児聴覚スクリーニング検査」の重要性についての記事が掲載されています。
 この記事につき、2点の質問と私どもの見解を下記の通り述べたいと思います。
 本書到着後、1週間以内に文書にて回答をいただきたく、お願い申し上げます。

 この記事では「早期検査の必要性」として「脳の発達と言語発達に影響」を中心に書かれており、「0歳児からの適切な対応で小学校の通常学級に通えるとの報告がある」としたうえで、「国、診断後の支援体制づくりへ」の見出し部分においては「精密検査で難聴と診断された場合、軽度なら補聴器をつける、重度なら人工内耳の手術をするなどの方法がある。」と書かれています。

(質問1)耳から音声情報を得なければ言葉の発達が遅れるとありますが、手話言語による言語発達については、どのようにお考えでしょうか。

(質問2)精密検査で難聴と診断されたのちの方法は「補聴器か人工内耳か」の二択だけでなく、「手話言語を中心とした方法」や「聴覚活用と手話言語の併用」といった選択もあります。本記事では「聞こえ(音声言語)の獲得」に主眼を置く書かれ方をされていますが、言語獲得の選択肢に「手話言語」を含めずに記事化された理由を教えてください。

【私どもの見解】
 新生児聴覚スクリーニング事業が全国的に行われることで、難聴を早期発見し、少しでも早い段階から、聞こえない子どもに対する早期療育を行うべき、という点は、私どもも異論はありません。
 また、聞こえない子どもの多くの親は聞こえる親だといわれています。現在、わが国には、きこえない子どもの言語獲得やコミュニケーション手段を考慮するうえで、福祉専門職、教育機関、医療機関等が連携し、多様な特性・ニーズを持った聞こえない乳幼児や保護者に提示できる包括的支援システムが不十分な状態です。
 その中で、音声言語としての日本語が必須として考えられる傾向にあることについても理解しております。

 その一方で、どれほど医学が進んでも、「聴覚障害」が手術やその他によって「難聴の程度」が変わることはあっても「完全に聞こえる人と同じようになる」ということはありません。補聴器や人工内耳を装用しても、それによってどの程度の聴力を得られるかは人それぞれです。全員が聞こえる人と同様に100%聞こえるようになるわけではなく、「音があることは認識できるが、ことばとしては認識できない」または「音を聞きながら口の形を見て、文脈なども考慮しながら何を話されているか理解する」という聴力レベルの人もいます。
 そのため、補聴器や人工内耳を装用した聞こえない子どもが全員、地域の学校に通い、聞こえる人と同じように学びの面でも社会的な発達の面でも成長していけるということではありません。
 むしろ、補聴器や人工内耳の装用後も「完全に聞こえるようにならない」ことに悩み・苦しむ聞こえない人が多くいます。そのような事実は多くの場合見過ごされている状況にあります。

 私たちは、早期発見後の療育において、「音声言語」に限定された「医学モデル」に基づいた支援が多いという状況を踏まえ、「手話言語」の獲得の選択肢と、それを保障する支援が必要であり、聞こえない子どもだけでなく、聞こえない子どもを持つ親に対する相談支援も必要だと感じています。
 聞こえない子どもを持つ親が、人工内耳とその「きこえ」の結果も含め、より多くの人工内耳の情報と、「聞こえにくさ」に対する正しい理解をすること、子どもとのコミュニケーション習得への支援も受ける中で、ありのままの子どもの姿を受けとめ、認められるようになり、そして異なるコミュニケーション手段を持つわが子を認め、自らも「手話言語」を習得することで言語発達を図り、多くの子どもと通じ合う歓びを味わうことができるよう支援することこそ、共生社会のあるべき姿だと思います。

 「聴覚障害」は治る障害でも、克服できる障害でもありません。音を聞き、音声言語としての日本語を話せる、という面でのみ言語発達を語るのではなく、「聴覚障害」について正しく理解し、音声言語以外での言語発達についても同じように情報提供がなされること、仮に、子ども本人にとっての最善の選択肢が、多くの保護者が望む「地域の学校に通う、聞こえる人と同じようになる」という形でない可能性も考慮されるべきです。
 私たちは、たくさんの選択肢の中から何かを選び、決定するときに、周囲からの助言や支援を受け、判断しながら決定をしています。また、自分の意思は、自分ひとりで決めていくものばかりではなく、自分と周囲とのかかわりあいの中で決めていくものもあります。多くの可能性を踏まえることと選択肢の幅を広げることは、聞こえない子どものその後の人生を考えるうえでも重要です。

 人工内耳手術をし、音声言語を獲得すれば「聞こえなくとも、地域の学校に通えるようになり、成長しても聞こえる人のようになれる」というモデルのみを示していくことは、「聞こえる」ことを優位とする形を変えた優生思想にもつながるものであると、聞こえない当事者である私たちは考えます。
 私たちは、聞こえないことを受け止め、多種多様な「聞こえない人生」を歩むため、聞こえの程度に関わらず、手話言語は聞こえない私たちの言語であると確信するとともに、聞こえる人も、聞こえない・聞こえにくい人も、共に暮らし喜び合える「共生社会」の実現に努力していくことが極めて大切なことだと考えます。

 それゆえ、貴社の「『聞こえることが大切である』という1つの方程式」に当てはめたような断定的に論じる記事に対し、質問をする次第です。

以 上