東北被災地訪問記 3月22日~29日



東北被災地訪問記(東日本大震災聴覚障害者救援中央本部 久松事務総括より)
3月22日(火)~3月29日(火)AM9時50分までに寄せられた訪問記です。
 

(1)2011/03/22 (火) 15:39
 
今、福島県の郡山市にいます。福島原発に近いところです。
高速道路を走っています。ここでは崩れている家は見当たりません。
屋根の瓦を固定するためのシートを貼っているのが目につきます。
一般乗用車は高速道路を走ることができません。
 
トラックとバスが多いです。
ワゴンに乗っているのは、JD常務理事の藤井さん、日身連の森さん、育成会の大久保さん、リハ協会の原田さん、藤井さんの介護者、石原さん、運転手の北条さんの8名です。
 
東京は雨でしたが、郡山は晴れています。想像以上に暖かいです。避難地にいる方々のことを思うと暖かい気候は有り難いです。車は少ないです。皆さん外出を控えているのでしょうか?原発に近いところですから市民の皆さんは大きな不安を抱えながら暮らしていると思います。郡山市には福島県協会の事務局長さんが住んでいます。 彼は多分に福島県協会の事務所に詰めていると思いますが、今回の原発事故をどんな思いでおられるのか?やるせない気持ちになります。
 
(2)2011/03/22 (火) 22:33
 
JD常務理事の藤井さん、日身連の森さん、育成会の大久保さん、リハ協会の原田さん、藤井さんの介護者(斎藤さん)、連盟職員の石原さん、運転手の北条さん(きょされん)の8名は、午後4時過ぎに社会福祉法人共生福祉会が経営している仙台ワークキャンパスに着きました。
 
仙台ワークキャンパスは、敷地面積が12,115㎡、建物床面積が5,091㎡とかなり広いです。
 
指定障害者福祉サービス事業所
①就労継続支援B型 定員30名
②就労移行支援 定員10名
 
指定障害者支援施設
①生活介護 定員40名
②施設入所支援 定員35名
③短期入所 定員2名
 
地域生活支援事業
①福祉ホーム 定員15名×二棟
 
構成員の皆さま
 
上記の仙台ワークキャンパスは、JDFが対策本部を結成し、先ず仙台市に支援センターを設立した場合の候補地です。お会いした市川義直常務理事は対応が丁寧でとても温厚な方でした。
 
JDFの支援センターとして使いたいとの申し入れを快く受けていただきました。施設の中にある一室(さくらホーム)を借りることができそうです。20人くらい寝泊りできるでしょうか?そのくらいの広さをもっています。その後、車で30分ほど離れているところにある体育館を視察しました。体育館は100人位使える広さです。ただ暖房はガスを使用しないといけないので障害者や高齢者が使うのは不便な感じがします。体育館の中はテニスボール等が沢山散らばっています。地震が発生したときに非難してそのままになっているようです。天井から埃が落ちてきたようで床が埃で覆われていました。
 
現在、電気、水は使えるようになったが、ガスはまだ通じていません。
お風呂を使うことが出来ないので皆さん水で体を拭いているそうです。
電気は地震が発生した日から5日間使えない状態でした。
一番、困っているのはガソリンが足りないこと。東京から持参したガソリンを10?差し上げました。このガソリンを使って体育館まで道案内していただきました。
 
JDFが仙台市で障害者支援センターを置くときの候補地として考えています。どのような使い方をするかは今後協議して決めていきます。仙台駅から車で20分ほどのところにあります。ろうあ連盟も使用できるとのことですので地元宮城ろうあ協会と相談してみたいと思います。
 
責任者を誰にするかですが、候補者としてDPIの阿部さん、宮城身体障害者協会会長の森さんがあがっています。明日、地元障害者団体との話し合いで決めることになると思います。
 
(3)2011/03/22 (火) 22:49
 
ホテルは仙台駅前にあるホテルモンテエルマーナ仙台という名前です。ホテルの中はボランテイア活動者で一杯でした。一般客は宿泊できないようです。駅前のホテルは全てボランテイア活動者、あるいは工事担当者が宿泊するために使われているようです。仙台市に行かれる方は宿泊所の情報に注意することが必要です。
 
夕食は、さばの塩焼き、マカロニサラダ、味噌汁、ご飯だけでした。野菜は足りないようです。野菜が入らないようです。
 
水と電気は使えますが、お湯が出ません。ガスが通じていないからです。
テレビはデジタルで字幕つきのリモコンでしたので字幕つきで宮城県、岩手県、福島県の情報が入るのは助かります。地元が発行している新聞は地元の電車、バスなどの交通情報が載っていますので助かります。
 
(4)2011/03/22 (火) 23:25
 
ホテルでの夕食後に、難民を助ける会の野際さん、杉澤さんから仙台市、名取市などの被害状況と救援活動を聞くことができました。
 
難民を助ける会は、インドシナ難民を助ける会から発展してきて東南アジア、中央アジア、中央アジアの難民を救済する活動をしている団体です。主な活動は、障害者自立支援、地雷・不発弾対策、感染症対策、啓発です。
東日本地震が起きて直ぐに救援活動を始めたそうで、市役所の裏側に事務所を持っています。常時10人くらい寝泊りしているようです。車は5台所有していて、被害地での安否確認、避難所や被害者の家を一軒ずつ回り物資を届ける活動をしています。被害者が必要としている救援物資は豊富にあるそうで要望があれば直ぐにでも届ける状況にあるそうです。また障害者施設を一軒ずつ回り被害状況を細かに記録しているそうで、県庁や市役所より具体的な情報を持っている感じがしました。
 
一番喜ばれているのが高齢者用おむつです。トイレが使えない状態の中で用を足すのはかなり負担を感じているようです。避難所から自宅に戻っている障害者は多いようですが、一番困っているのは食物の配給です。一軒、一軒回りながら配っているのですが、人手が足りなくて追いつかないそうです。5台の車を所有していても追いつかないとの話しには驚きました。
 
テレビで放送している被害地より放送されていない悲惨なところがいくつもあるようです。写真を見せてもらいましたが、確かに放送では見たことも聞いたことがない町名でした。
 
豊富な資金がないと救援活動ができないと思いますが、資金の出所を聞くと、外務省と経団連からだとのこと。日頃の活動が信頼を集めてきたということだと思います。動きが早いので見習うことが多いNGO団体でした。被害地情報や福祉施設情報をパソコンで送ってもらうことになりましたので入手次第、皆さんに展開したいと思います。
速やかにかつ効率的に動いていただきたいと強く要望されました。
 
さらにJDFが車を使って救援活動をされる場合は、駐車場を10台分提供できるとのことでした。ろうあ連盟も使用できるのではないかと思います。
 
(5)2011/03/23 (水) 0:05
 
ガソリンの配給の問題です。
被災地のみならずどこでもガソリンが手に入りにくくなっております。
被災地仙台市では、車がないと不便です。ガソリンがないので買い物に行けない状況です。郊外の大型ショップは半分くらい閉まっておりました。例え開いていても中のお客さんはあまりいません。ガソリンがないことは市民の生活に大きな影響を及ぼしています。
 
救援活動に必要な車ですが、ガソリンは高速道路のガソリンスタンドで給油を受けています。察から緊急車両の許可証を受け取れば高速道路を無料で走ることができます。一般車両はできません。先ほどの難民を助ける会は、ほとんど高速道路にあるガソリンスタンドで給油を受けています。私たちも高速道路で三回ガソリンスタンドに寄りました。このような状況が暫く続くと思います。いつまでかはわかりませんが。
 
それから物資の配給の問題です。
救援物資を宅配便で送った場合は、宅配センターで止まります。物資を必要とする場合は、宅配センターまで行かなければなりませんが、ガソリンがないので受け取りにいけません。また、県庁や市役所にも物資がたくさん届いていますが、必要とするところに必要なものが届いていないようです。個別のニーズが把握できない、個別に配給できない、人手が足りないなど問題が多いようです。その点、難民を助ける会の行動は見習う必要があります。
また、善意の物資支援を受けるにしてもダンボールの中に多くのものが入ったりすると仕分けが大変です、仕分けの作業も膨大でそのまま放置することもあるようです。物は一つにまとめて送ることが効率的に配給することができますので、注意する必要があります。
 
追伸
仙台市は余震が多いです。夕食時間にも二回揺れました。
これを書いているときも揺れました。震度3くらいでしょうか?
度々揺れを感じていると、揺れていなくても揺れていると感じることがあるようです。
 
(6)2011/03/24 (木) 7:07
 
おはようございます。
朝早くから失礼します。昨日の仙台は一昨日と違って寒かったです。
雨が降ったり、曇ったり、晴れたりと・・・。
夜は晴れていて、回りが暗かったためか久しぶりに沢山の星を見ました。
 
今日は岩手県の盛岡に移動です。仙台駅付近から高速バスに乗る予定ですが、予約が必要のようです。出発前の情報では予約不要でしたが、いつの間にか予約が必要になっていました。
JR,新幹線が使えないことの影響が大きいようです。
盛岡では地元ろうあ協会の役員、通訳者たちと話し合う予定です。
青森県から浅利全日ろう連理事が駆けつけてくれます。今回は青森県に行く予定が入っていなかったので青森県の状況を伺うことができそうです。
 
さて、昨日の報告です。少し長くなります。
午前中は私たちの宿泊しているホテルの近くにあるホテルの三階にある会議室を借りて、宮城県、仙台市の障害者団体、障害者施設の代表者が集まり、情報、意見交換を行いました。震災後、障害者関係者が集まったのは初めてのようです。
 
JDF(日本障害フォーラム)の組織の概要と対策本部の設置の経緯について説明しました。難民を助ける会も駆けつけていただき救援活動の状況を報告してもらいました。その後、地元障害者団体等の被災状況と救援活動について報告を聞きました。
海岸近くにある施設は浸水、津波に流されたりとかなりの被害を受けているようです。
詳細は記録が届き次第送ります。
 
印象に残ったのは、ネットワークを構築していないためか情報共有ができていないこと、備蓄があるのに必要な人に必要な物が届いていないこと、県や市行政への不満が強いこと(たらい回し、ボランテイア登録してくれと言われたり、物資があるのに運ばない、社会福祉協議会に聞いてくれと言われたり等など)。障害者や高齢者が後回しにされている状況にあることを感じました。

午後は福祉避難所(宮城野障害者福祉センター)の視察。
避難している人は障害者と言うよりは高齢者たちでした。地震があった日の最初の避難者は痴呆の傾向がある老人でした。帰る家がないのに帰りたいとせがむ老人をなだめるのに大変だったとこと。今は14人と介護者3人が生活しています。
 
その後、一般避難所(仙台市立幸町南小学校)を視察する予定で寄りましたが、体育館が危ないということで一般教室に移動していました。
車椅子、高齢者はトイレの近くの教室にするなど配慮されていると聞きました。小学校の回りは段差が多く車椅子を使用している障害者にとりアクセスが厳しい建物でした。連絡が行き違っていたためなのかわかりませんが、結局、中に入ることはできませんでした。
 
それから場所を変えて、JDF、目で聴くテレビのクルー、地元ろうあ協会の役員たちと名取市にある福祉施設を訪問し、私たちはJDFの幹部たちと分かれて、仙台空港の被災状況を見にいきました。地元協会の役員も初めて足を運びます。仙台空港の周りは破損した車が何千台も・・・。
破損した車を運ぶのに相当な作業を必要とするのではないかと考えただけでも想像できませんでした。「悲惨」というより映画のセットを見ているような不思議な思いをしました。人間の姿がないからなのでしょうか。説明のしようがない光景でした。
 
夜は地元県ろうあ協会の事務所に寄り、地元協会と全通研支部の方々と話し合いをしました。被災者の安否確認、被災地の状況報告、支援者への対応などの報告を伺いました。皆さん、本当に頑張っています。むしろ頑張りすぎです。事務所には色んなところから連絡が入っています。丁寧に対応しています。善意の申し入れをむげにすることが出来ないとの思いで対応しているようです。ここではむしろ断る勇気を持つことが必要ではないかなと思いました。
 
岩手に行く移動バスの中から課題を整理して送りたいと思います。
時間がなく、すみません。早めにホテルを出る必要がありますので。
 
(7)2011/03/25 (金) 2:25
 
関係者の皆さま
 
日本財団様のご支援により宮城県救援本部にワゴン車の提供、手話通訳者(当面3名)の派遣が決まりました。
救援中央本部の担当部門で手配することになりました。
詳細は本部から皆さまにご報告があると思います。
宮城県内での物資の保管、流通システムをどうするかが今後の課題になります。早速、物資担当者が動き対応を始めたようです。
 
何度も繰り返しますが、物品を送るときは被災地での仕分け作業の負担を減らすよう同じ箱に品種の違うものを混ぜないようにしてください。一品で一箱で梱包するようにお願いします。
また宅配で配送しても配送センターで止まります。配送センターに出向いて受け取るものを探すのも大変です。
 
昨日の報告です。
仙台駅近くのバス停から盛岡行きの高速バスに乗りました。
ホテルの受付の情報や地元テレビによると高速バスに乗るには予約が必要との話しでしたので朝早くにホテルを出て切符売り場に行ったのですが、バス停に並んで待っている人に聞いたら予約なしで乗車できるとのこと。急いで列に並び乗車することができました。音声での案内があったのかわかりませんが、聞こえない人にとって交通情報はアクセスしにくいことを強く感じました。盛岡には午前11時半に着きました。
 
午後1時半に、盛岡駅前のアリーナという建物の中にある岩手県聴覚障害者情報センターの会議室にて岩手県ろうあ協会会長、事務局長、情報センターの所長、副所長、専従手話通訳者、ろうあ連盟東北ブロック選出理事が出席し今後の対応について話し合いをもちました。
 
岩手県からの指示で情報センターと岩手県ろうあ協会が共同して被災地での安否確認を行っているとの説明を受けました。
今後、救援中央本部と連携して岩手県内の救援活動を行うには岩手県行政の理解や協力が必要とのことでしたので県庁障害福祉課に出向きました。担当課長と主任にお会いしお見舞いの挨拶をした後に、地震が発生してすぐに救援中央本部を発足し、組織的に救援活動を行っていることなど中央本部の活動内容を説明しました。県の担当課長は中央本部の救援活動に感謝する、今後も情報センターと岩手県ろうあ協会が連携して活動するのでぜひ協力をお願いしたいと依頼されました。
 
その後、情報センター会議室に戻り、情報センターと岩手県ろうあ協会が核となり全通研岩手支部、県サ連とが協力団体として加わっていくことを確認しました。救援対象は、ろう者、難聴者、中途失聴者、盲ろう者とする、東北ブロックの青森県、秋田県、山形県の三県とは救援中央本部が窓口となる、岩手県現地本部は主に、陸前高田市、大船渡市、釜石市、宮古市を救援することを確認し、現地本部をどこに設置するか備品をどうするか、物資の保管場所をどうするか等話し合いました。
 
会議の途中、大きな揺れがありました。気仙沼市沖が震源地のようです。本当に余震が続きます。落ち着かないです。盛岡では震度4でした。
 
27日に情報センターとろうあ協会が共同で本格的な被害地調査を実施する予定とのこと。この実態調査を踏まえて人的派遣、物品配給の体制について検討するようです。中央本部として本格的な支援活動は27日以降になります。27日までに被災地に出向くことができなかったのは、沿岸の道路が寸断されていることと、ガソリンの配給がない中で被災地までの距離を走ることができないためとのこと。盛岡から被災地までの距離というのは関東で言えば、東京から栃木県の宇都宮までの距離に匹敵する距離です。車で普通に走っても2時間はかかります。岩手県は北海道に次いで二番目に大きい県ですから被害地調査に出向くことが容易でないことがご理解いただけると思います。
 
(8)2011/03/25 (金) 12:04 
 
日本財団様のご支援により、岩手県現地本部に、ワゴン車の提供、手話通訳者(当面2名)の派遣、現地本部の事務機能を支援する備品(パソコン、FAX、テレビ電話等) の提供が決まりました。
 
今まで情報センターの職員の頑張りで対応してきましたが現地本部機能を稼動させてこれから組織的に動いていくことになります。できるだけ沢山の支援者や仲間たちの力を借りて救援活動を長期的に続けていけるようにしたいと思います。現地の人たちの負担を軽くするためにご協力をお願いしたいと思います。
 
(9)2011/03/26 (土) 8:14 
 
おはようございます。昨日の午後に秋田に到着し、秋田の関係者が集まっている会場に行きました。場所は社会福祉センターです。
 
午後1時からの始まりでしたが、携帯を盛岡のろうあ協会事務所に置き忘れてきたために4時に到着しました。休みをとられて集まっていただいた方々に大変申し訳なく思います。秋田の皆さんすみません。
私たちが到着するまでお集まりになられた方々で救援秋田地域本部の立ち上げについて話し合っていました。参加者は秋田県ろうあ協会、全通研秋田支部、秋田県手話サークル連絡協議会、ろうあ者相談員、秋田ろう学校(校長の代理で教員が出席)。
30人以上いたと思います。皆さん東北の仲間を助けたい、東北の力を取り戻したいとの思いが強く伝わりました。
秋田地域本部の立ち上げに向けて、目的、構成組織、役割、心がけ(大切なことです)を以下に記します。
 
目的
3月11日に発生した大地震やそれに伴う福島原発事故などの二次災害の被害にあわれた方々を救済、支援していくために作られた中央本部の活動を、秋田県として支援・救援することを目的とします。
 
構成組織
一般社団法人秋田県力障害者協会
秋田県中途失聴者、難聴者協会
全国手話通訳問題研究会秋田支部
秋田県手話サークル連絡協議会
 
役割
①各種情報の収集、分析、提供、調整
②募金活動、救援物資の調達
③県、自治体等へ、聴覚障害者の配慮を啓発
④現地派遣の救援チームへの手話通訳・ろうあ者相談員等の派遣
⑤秋田県の被災者受け入れ先の聴覚障害者支援対策(情報保障等)
⑥その他必要に応じた支援
 
心がけ
①被災者への配慮を第一に。
 (余計なことをしない、邪魔をしない、不愉快にさせない)
②個人行動はつつしむ。
 (現地では個人救済は断っている。要請に応じて地域本部として活動する)
③一人ひとりが仲良く、協力しあう。
④個人で今できることを実行する。
 (節電に努める、衝動買いをしない、無駄な携帯電話、メールをしない・・・)
頑張ろう東北!
 
今回の集まりの特徴は、ろうあ者相談員(身体障害者協会管轄)、ろう学校教員が参加したことです。ろう学校としては生徒の受け入れの用意がある、教員も秋田地域本部と連携して支援していきたいとの発言がありました。
寄宿舎が満杯のため公務員宿舎の用意をした場合の交通手段はないので移動バスの手配について県と交渉するとの話しがありました。
その他、公的派遣について、物資運搬、配送など意見交換をしました。
 
(10)2011/03/26 (土) 9:22
 
JDFの藤井さんから電話連絡がありました。
JDF(日本障害フォーラム)として、仙台市に障害者支援センターを30日に発足するとのこと。近くに(車で15分かかりますが)、体育館を借りてボランテイア派遣の拠点にする予定です。聴覚障害者支援のボランテイアの寝泊りにも使えると思います。
人的支援の担当者は宜しくご検討ください。詳細がまもなく入ると思います。
 
(11)2011/03/26 (土) 11:50
 
今、秋田駅で酒田行きの電車待ちで足止めです。
直接、山形に行ける電車がなく酒田駅まで行ってそこから山形行きのバスに乗ることにしました。夕方に着く予定です。
隣の県といえども東北は広いです。山形の関係者とは夜に話し合いの場を設けることにしました。
 
浅利ろうあ連盟理事から八戸市ろうあ協会の話を聞きましたので報告したいと思います。
八戸市ろうあ協会は地震が起きる前に、災害時の非難訓練を実施したそうです。その成果があったようで被害を出さずにすんだとのこと。避難訓練は必要ですね。八戸市の取り組みに
ついての報告を聞きたいと思います。
 
(12)2011/03/27 (日) 8:11
 
おはようございます。
昨日、秋田から山形に入りました。
秋田から酒田まではJR酒田から山形までは高速バス秋田県の院内から山形県の新庄あたりまでJRは通っておりません。直接いけるルートがありません。酒田から出るバスは一日5本しかありません。酒田は港町です。山形に入るには山を越えなければなりません。山道に入ると猛吹雪です。1メートル以上も積もっていました。
 
山形駅に着くとろうあ協会、全通研山形支部の皆さんがバス停で待ってくださいました。寒いところを待たせて申し訳ありません。
皆さんと今後のことについて話し合いました。先ず、会長から直ぐにでも支援に行きたいと思ったが、ろうあ連盟から連絡があるまで待っていた、これから支援本部を設立して支援活動を始めたい、福島からろう者が3人避難してきているので手話通訳のサポートをしているとの説明をいただきました。
 
私から、宮城県、岩手県の現状、青森県、秋田県の今後の支援活動について説明をしました。
 
山形地域本部は、これから難聴団体、盲ろう者団体と一緒に活動を始めたい、対象者は、ろう者、難聴者、中途失聴者、盲ろう者とする、地理的に宮城、福島が近いので両県を支援していきたいと考えているとのこと。
 
今日は福島です。
山形から仙台に行って、仙台から福島に入ります。
直接入るバスがありません。
 
(13)2011/03/27 (日) 11:09
 
仙台から福島に向かう途中です。
今までの宮城県、岩手県と違い、みえない敵とどうたたかうかが福島の大きな課題です。
 
原発の付近の市町村は行政機能がマヒしています。
30キロ圏外に避難してきている人たちが戻ってくる見通しがあるのかないのか、福島市、郡山市、会津若松市のように福島県の中でも大きな市は原発からの避難者をどのように受け入れていくのか、まだ全体が見えてきません。
 
原発に近いいわき市には、福島県協会の会長さんが住んでいます。動きたくても動けない状況です。このような状況をどんな思いでおられるのか?
会長さんにメールをしてもいつも私たちのことを気遣います。
ご本人が大変だというのにこの気配りです。
 
私たちの心は一つです。
復興、再興は元に戻すという意味合いが強いですが、これからは障害者が暮らしやすい社会をつくること、もっと発展させていくことの意味を込めて、「再生」という言葉が相応しいのではないかと思います。
JDの藤井さんも「再生」と言う言葉を使いたいと言っていました。
 
(14)2011/03/27 (日) 11:31
 
福島県内に入りました。
後30分で福島駅に着きます。
22日に出発して今日で六日目です。曜日の感覚がないです。日曜日だなと感じるのはパソコンに入ってくるメールが極端に少なくなるからです。
 
福島県は米や野菜が美味しいところです。
この米や野菜がこれから売れない。農業に従事している方々はつらい思いをしていることと思います。
 
バスの中から福島県の豊かな美しい自然を見つめています。春の訪れを感じ、これからきれいな花が咲き、緑がさらに濃くなってくる、この豊かな大地をこれから踏めなくなるかもしれないということを考えただけで悲しくなります。放射能汚染は人災だということを。
 
(15)2011/03/28 (月) 7:29
 
おはようございます。
昨日の報告です。
 
正午に福島駅に到着。迎えの車で福島県ろうあ協会事務所に向かいました。ろうあ協会の役員、職員、全通研福島支部の役員、福島ろう学校教員、オブザーバーとして宮城ろう学校教員が加わり、約15名集まりました。皆さん震災後、初めての集まりです。
郡山の方はガソリンがなくバスに乗って参加されました。
それまではパソコン、携帯電話でやりとりをしていたとのことです。
集まるだけでも一苦労ですから、避難地に出向いての実態調査はできずまた原発の放射能問題もあって動きたくても動けない状態です。
 
それでも非難してきたろう者や通訳者たちの状況を把握しようと一生懸命情報収集していました。事務所の壁に福島県の地図を大きく書いて避難状況がわかるように紙を貼ったりしていました。
ただ今いる避難所別の避難所に移動した場合は連絡をもらわないと把握できなくなると言っていました。
 
放射能問題、ガソリン問題など悪条件が重なって実態調査を行える状況になく、ろう者や通訳者の安否を確認したり、悩みや要求を聞き出したりするためには、テレビ電話が必要だとの切実な要望がありました。
 
ほかに深刻な問題として事務所機能の維持です。
協会活動が事実上停止している状況です。手話普及事業、手話通訳養成事業を実施する見通しがなく協会運営に大きな不安を抱えております。放射能の広がりによって事務所移転の問題もあります。事務所にあるデータ保管について東京にあるろうあ連盟本部事務所が支援することを約束しました。
 
原発事故の影響は深刻です。
原発近くの地元自治体の住民を受け入れている自治体も危なくなってきているからです。
 
今、強い揺れを感じました。長いです。
今度は日本海。山形県沖です。心配です。
 
(16)2011/03/28 (月) 7:51
 
地震が収まりましたので続けます。先ほどはあわてて送りました。
失礼しました。
余震が続きますから被災地の沿岸部で作業をしている人たちは命がけだと思います。津波警報が出ているようでご無事を祈ります。
 
今日は福島県庁を訪問します。
福島県は情報提供施設がありません。今回のような大規模な災害が発生した場合の支援活動を行う拠点がないと困難です。
情報障害者への支援強化と情報提供施設の必要性を強調したいと思います。
 
福島ろう学校は、一般避難民を受け入れています。
また特別支援学校(肢体不自由系)の生徒も受け入れを表明しています。狭い教室での授業を強いられそうです。
 
午後は福島から郡山までバスによる移動、郡山から栃木県那須駅までバス移動、那須駅から埼玉県大宮駅まで東北新幹線。昨日ホテルをあわてて出たためか、帽子とパソコンの電源コードをホテルに忘れてきました。このパソコンは3時間持ちますので後1回はメール送信できます。
 
(17)2011/03/29 (火) 9:50
 
おはようございます。
昨夜、石原次長と共に無事に帰ってきました。
皆さまのご支援ご協力に感謝します。
 
昨日、福島県庁に行ってきました。12階建ての建物ですが、建物に大きなダメージがあるらしく8階以上は使用禁止でした。表敬訪問した障害福祉課は7階にあり階段をあがりました。水道の水は一昨日から使用できるようになったとのことでした。
 
障害福祉課長に聴覚障害者のおかれている状況について福島県ろうあ協会の副会長が説明しました。課長は今回の
震災、原発事故で情報提供施設の必要性を痛感した、来年度の予算で計上できるように検討したいと話しておりました。ただ新規に建物を建造することの余裕はないらしく既存の建物の活用を考えたいとのことでした。
 
県庁に副会長や事務局長が同行しました。原発事故問題は深刻です。協会や事務所の存続の危機を抱えているからです。全国の仲間が積極的に支援していかなければならないと思います。
 
今回の訪問で確認できたことを以下に記します。
①個人で動かない。
②組織的に動くために拠点(場所)をつくること。
③拠点はみんなが自由に使えること。
④一緒に活動できる仲間を増やすこと。
⑤できるだけ多くの団体が地域支援本部に入ること。
⑤それぞれの役割分担を確認し組織的に動くこと。
⑥窓口を一本にすること。
⑦短期、中期、長期的支援計画をつくること。
⑧中傷、批判はしない、仲良くすること。
⑨被災地の方々を尊重し、迷惑をかけないこと。
⑩無理をしない、疲れたら休むこと。
⑪善意の申し入れに不要と感じたら断る勇気を持つこと。
⑫常に情報共有を図りネットワークをつくつこと。
 
具体的には、
(1)支援の対象者は、ろう者、難聴者、中途失聴者、盲ろう者、ろう重複障害者、通訳者、ろう学校関係者など
(2)支援地域本部体制の構築
ろうあ協会、全通研支部、士協会支部、県手話サークル連絡協議会、要約筆記サークル、ろう学校等
(3)県や市行政と常にコミュニケーションがとれるような状況をつくりいつでも支援を受けられるような体制をつくる
(4)必要な人に必要な物資を配布することができるよう配布ルート、配布方法を確認し、円滑に配布できる流通体制をつくる
(5)物資保管場所、人的支援(通訳者、ボランテイア、相談員、介助者等)活動場所を確保する
(6)拠点(場所)の運営が効率的におこなうために、移動・運搬用車両の確保、事務機能(PC、携帯、テレビ電話、プリンタ、コピー機等)の整備拡充
 
東日本大震災救済活動は一年、二年、五年と続きます。長期的展望をもって、こころは一つ、みんなが力をあわせて緑が豊かで、豊穣な広い土地、東北を支援していきたいと思います。
 
今回は東関東(茨城県、千葉県)を訪問しませんでしたが、関東地区の仲間が力強い支援を行うことになっております。私も近々訪れたいと思います。
 

以上
(3月29日(火)9:50までの分)

 
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