震災で実感 意思疎通の壁



 社団法人宮城県ろうあ協会機関紙「聴障宮城」に掲載された実際に地震・津波にあわれた方々の体験談をご紹介します。ぜひお読みください。(文章は原文のままです。掲載につきましては同協会の許諾を得ています。)

『震災で実感 意思疎通の壁』(NEW:2012/04/04掲載)

気仙沼市 Wさん

 私は勤務中に被災し、すぐさま会社から程近い高台へ避難しました。職場の皆は全員無事でした。その時、音声で伝えられる津波の情報は、聴こえない私には届かず、津波が来ることは職場の皆から教えられました。大型船が津波で流されていく様子を見て、どこまで行くのかととても不安になりました。その船は、最後はついに鹿折唐桑駅付近で止まったのです。

 震災直後、皆はパニックで体が震え、歩けない状態でした。家族のことが心配で、お互い声をかけ合っていました。職場の半数程度の人々は、徒歩で帰宅。私は他の人と町内会のある場所で3日間過ごしました。不足している食糧や水を、皆で分け合いました。

聴こえない事から うまれる誤解

 2日目、職場の男性が、私の娘がいる学校へ行き、連絡を取ることができました。3日目、やっと職場の人とともに、娘のもとへ。その後約1ヶ月程、停電・断水のため、避難所生活が続きました。

 避難所では、聴覚障害がどういったものなのか、わからない人々もいて、挨拶をする時も無視したと誤解する人もおり、「あの人は失礼だね」と陰口を言われました。私は納得できず、翌朝その方々に、「昨日は挨拶をせず、大変申し訳ありません。聴覚障害者なので、筆談をお願いします」と伝えました。皆は驚きました。誤解されていたのです。その後は周囲の理解を得られ、笑顔で挨拶してくれたり、話をすることができました。しかし、やはり、夜の暗闇の中でのコミュニケーションは難しく、不便に感じました。

今後のこと・・・ 絆を大切に

 災害対策としては、津波警報が聞こえる・聞こえないに関わらず、震度5強以上の地震が発生後は、津波が来ることを想定し、すぐに高台へ避難することが重要です。そこで待機し、聴者に状況を聞き、状況把握に努めましょう。また、日頃から貴重品はあちこちに置かず、まとめてすぐに持って避難できるような準備をしておくことも大切です。そして、自宅玄関、茶の間、寝室に懐中電灯を一個ずつ用意しておけば、夜中の緊急事態でも明かりを確保できれば比較的安心ですし、避難しやすくなります。

 震災後、辛いことも多々ありましたが、これからも何事にも負けず、お互いに支えあう気持ち「絆」を大切にしていきたいと思っています。

大型船までも動かす津波の力