『神様仏様の不思議な力?』



 社団法人宮城県ろうあ協会機関紙「聴障宮城」に掲載された実際に地震・津波にあわれた方々の体験談をご紹介します。ぜひお読みください。(文章は原文のままです。掲載につきましては同協会の許諾を得ています。)

『神様仏様の不思議な力?』(2011/09/13掲載)

石巻市 Tさん

 私の自宅は、海が遠く向こうで見えにくい、住宅地の一角にあります。海と川がありますが、距離でいうとどちらも2キロ程離れています。

 3月11日(金)の午後、私は、晩ご飯は何にしようかと考えながら買い物をしていました。帰宅して冷蔵庫を開けた途端、あの揺れが襲ってきたのです。長く激しい揺れの中、家にいた夫と私…。その地震では家の物はあまり倒れずほっとしましたが、停電という状況の中、私ははっとして、夫に今から近くのセブンイレブンに行って水を買ってくるように言いました。

 その間私が片づけをしていると、聴者が家に来ました。
口で何かをまくし立てているのですが、何を話しているのか…そうこうしていると、その聴者はどこかへ行ってしまいました。

隣近所の呼びかけに私は

 私の聴者の息子は、地震後の午後3時頃、私達夫婦を心配して、仕事も半分に、家に駆け付けてくれました。しかし息子はその時、津波の情報は聞いておらず、把握していなかったのです。
10分後、その地域で津波警報が発令。警報を聞いた息子の発した「津波!」の言葉に、私はあわてました。夫はまだ帰宅していません。

 その時、隣近所の3人家族が家に来て、「一緒に避難しよう!」と声をかけてくださいましたが、「私は年だから走って逃げるのは無理…」と伝えました。

死を覚悟した3人 抱き合って

 その家族が行った後、夫が帰ってきました。自宅から、じわじわと迫ってくる津波が遠くに見えました。

 私はいつも裸足なので、靴が必要と取り出しました。なぜか布団を取ろうとする夫に、「布団は要らない!!」と私。海水が流れ込み、立つのも困難となり、長靴から足もすっぽり抜けてしまいました。3人は2階へ。海水とともに壊れた家や車も流れてきて、今にも2階まで迫ってきそうな勢いです。

 いくつもの家が壊れ、流されていくガレキの海を見て、自分の家もこうなるのだ…どうしようもないのだ…と感じました。私は半ば諦めました。「もう死ぬ!!死んでもいい!」。3人で抱き合い、「負けるな!!」と励まし合いました。そして3人を津波が襲いました…。

神様からのいただきもの

 2階の途中まで津波がきましたが、そのままおさまりました。そんな中、プカプカと浮いてくるものが視界に入りました。それは地震後、夫が買いに走った水5本。海水で流れてきた空気で喉がカラカラ。外側は異臭がしましたが、すかさず手を伸ばしました。落ち着いてくると今度は雪が降る中、寒さと空腹との戦い。ふと見ると、2階にあった仏壇に、リンゴが5個、電池ろうそくもあり、食料も明かりも確保できました。

 その後の3日間は食料が無く、苦しい日々が続きました。翌朝、一面ガレキの海と、自宅1階の見るに堪えない光景を見ました。
 
近所の家族を偲び 心の痛みに耐え

 地域指定の避難所はいっぱいで、私達はここには居られないと移りました。別の地域に移り、落ち着きました。

 先に逃げた隣家の3人家族は、ここを出た10分後、津波に巻き込まれて亡くなりました。一緒に避難していたら、私は今、この世にいないかもしれません。彼らを引き留めれば良かった、一緒にいれば…と悔やんでなりません。

 あの状況下で死を覚悟しましたが、2階の仏壇の仏様、神様のおかげだと思っています。神様は仏壇にそのまま残っていました。私は命が助かりましたが、地域の友人、親戚…思い出しては心が締めつけられます。こちらに引っ越してから25年間。一度も津波の経験はありません。この地域には、午後3時15分頃に津波が到達しており、3波が襲ってきました。足の半分の位置まで海水が上がってきたあの経験…あの時、よく機転を利かせ行動できたと感じています。今後、何かの緊急事態には、この経験を活かしたいと思っています。亡くなった方も大勢いらっしゃいますが、この助かった命で頑張っていきたい、本当にその気持ちだけです。