優生思想の根絶に全力を尽くす決意の表明(手話言語動画)



 全日本ろうあ連盟は、4月26日に「優生思想の根絶に全力を尽くす決意の表明」を発表しました。

優生思想の根絶に全力を尽くす決意の表明(手話言語動画)

優生思想の根絶に全力を尽くす決意の表明

2025年4月26日
一般財団法人全日本ろうあ連盟

1.はじめに
 一般財団法人全日本ろうあ連盟(以下、連盟)は、2018年より優生保護法による被害を受けたろう者の実態調査を加盟団体と共に取り組みました。調査の結果、少なくとも170名が不妊等手術を受けていたことを明らかにしています。また、強制的に不妊手術を受けさせられた被害者と共に、同じろう当事者として裁判をたたかってきました。
 その後、2024年7月3日、最高裁判決で原告の勝訴が確定し、それを受け10月8日には「旧優生保護法に基づく優生手術等を受けた者等に対する補償金等の支給等に関する法律」(補償法)が成立しました。

2.日本聴力障害新聞の記事や各種報告書から判明したこと
 現在、80歳代以降のろう高齢者の中には、過去に強制不妊手術や人工中絶をうけ子どもを産めなくなっている人が多くいたことは、よく知られた事実でした。
 連盟が発行する日本聴力障害新聞(以下、日聴紙)や報告書等でも、1949年からろう者の結婚や出産、子育て、家族の関係等で苦悩する体験が多く掲載されています。特に日聴紙1973年3月号では、家族や社会から「子どもを産む権利を認めない」と不当な差別を受けたろう夫婦の事例が紹介され、大きな話題となりました。
 このように優生思想に基づく問題が日聴紙上で訴えられている一方で、連盟は、強制不妊手術や人工妊娠中絶等の問題について、2018年まで積極的に取り組むことができませんでした。

3.なぜ連盟は優生保護法をとりあげることができなかったのか
 連盟が優生保護法問題をとりあげなかった理由としては、
 第一に、当事者団体でありながら、ろう者の権利を守るという意識が弱かったという点です。戦後直後にろうの当事者団体が再建されましたが、当時のろうあ運動は、権利に基づく要求ではなく、「おねがい運動」が主でした。きこえる人から常に可愛がられる存在であれと言われ、手話言語も社会から否定されているなかで、頼れる相手は、ろう学校教員と家族しかいないのが実情でした。日頃、相談する相手でもある親や家族、ろう学校教員から子どもを産むなと言われると、拒否することは極めて困難な時代であり、抑圧された環境にあるものの、それに抗う人権意識の醸成ができませんでした。
 第二に、日聴紙などで優生保護法による不妊手術等の問題が知られるようになったものの、差別や偏見のなか苦労してきた自分と同じきこえない子どもが生まれることにためらいがあった人も多くいました。社会の根強い差別や偏見のなかで、子どもを産む・産まないの問題は私的な問題、家族の問題ととらえられ、優生保護法による不妊手術等を障害者差別の社会的な問題としてとらえることができなかったのです。
 連盟が長年取り組んできたろうあ運動は、手話通訳等の情報・コミュニケーション保障、手話言語のできる福祉司・相談員の設置、労働環境・労働条件の改善、障害者福祉制度の改善・向上、旧民法第11条(判断能力の否定)や道交法第88条(運転免許禁止)等の差別法規の撤廃など、生活や教育、労働環境を大きく変え、ろう者等の社会参加の促進に貢献してきました。
 しかし、障害者の存在を全否定する法の存在やその被害にあった方々の問題を把握し、人権の回復に取り組まなければならないという意識は極めて弱く、被害にあった方々からすれば放置されたままと言わざるを得ません。
 優生保護法は「~優生上の見地から不良な子孫の出生を防止するとともに、母性の生命健康を保護することを目的~」とした内容であり、戦後最悪の法律でした。連盟もその思想に取り込まれていた可能性を否定することができません。優生思想や優生保護法による犠牲が様々なところで報告され、周知されているにもかかわらず、この問題に自ら正面を切って取り組んでこないまま時間だけが過ぎてしまいました。
 私たちがこの問題に向き合わずにいたことで、多くの先人たちの被害はより深刻なものとなってしまったことを深く反省し、深くお詫びをいたします。

4.断固として優生思想をなくしていく
 優生保護法における国の責任は明らかになりましたが、現在においても優生思想や障害者差別が解消されたわけではなく、様々な形を変えて私たちの前に現れます。連盟は、この優生保護法による被害の補償を受けるための支援を推し進めていきます。同時に、こうした根深い優生思想による被害を二度と起こさず、優生思想による制度や風潮に断固として抗議し、根絶していくために全力を尽くすことは私たちの責務です。その強い決意をここに表明します。