全日本ろうあ連盟の人工内耳に対する見解



 昨今、人工内耳の技術進歩が進み、人工内耳装用児・者は増加しています。それに伴いさまざまな課題が出ています。特にろう教育現場では人工内耳装用児の増加のため、ろう児一人ひとりの対応の幅が格段に拡がり、教職員の対応の課題も多岐にわたっています。連盟では、人工内耳の現状と課題を把握し、連盟としての方向性を示すため、2015年2月、「人工内耳に対する見解を示すプロジェクト」を立ち上げ検討を開始、パブリックコメントを経て、見解をまとめました。プロジェクトの詳細についてはこちらをご覧ください

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人工内耳に対する見解:論点

一般財団法人全日本ろうあ連盟人工内耳に対する見解を示すプロジェクト

論点-① 人工内耳とはどのようなものか。

●人工内耳の技術的な説明
 人工内耳は、音声を電気信号に変換し、蝸牛に埋め込まれた電極を通じて脳の言語中枢に伝えて、ことばとして認識させるシステムである。
 体内部のインプラントは電極と受信コイルからなり、手術が必要になる。現在は、蝸牛内の構造をできるだけ壊さないような電極を用いて手術が行われている。体外部は、プロセッサと送信コイルからなる。マイクで拾った音声はプロセッサで信号処理され、送信コイルによって体内の受信コイル、電極から聴神経を経て脳に伝えられる。
 内耳に音声を伝える方法が補聴器は空気振動であるのに対し、人工内耳は電気信号である点が異なる。補聴器は、難聴の種類や聴覚特性によって増幅に限界があり、効果に個人差がある。人工内耳は聴覚閾値(いきち)が平均30dBまで補償されるので小さい音まで聞こえるが、ことばとしてきけるようになるためにはリハビリテーションが必要である。

●人工内耳の合併症
 インプラントを埋め込む手術に際しては、頻度は低いがめまいや術後感染、まれに顔面神経麻痺などの後遺症が生じることがある。

●人工内耳にかかる費用
 人工内耳の手術自体にかかる費用は健康保険の対象であり、他の様々な医療費補助の制度を用い、極端に高額になることはない。また、プロセッサは買い換えが必要な場合があり、電池等の継続的なコストがかかる。各地域の助成制度の有無で異なるので、個々の条件は責任のある行政担当者に確認することが望ましい。

●人工内耳での聞き取り
 人工内耳の目標は、通常の補聴器ではことばの音をきき取ることが難しい高度から最重度の難聴であっても音声をきき取れるようにすることである。脳による音処理の仕組みが確立されている中途失聴者の場合、人工内耳での「音のききとり」はそのまま「ことばのききとり」につながることが多い。生まれたときからきこえない・きこえにくい子どもたちの場合には脳の言語中枢の発達の過程で聴覚刺激が大切であるので、医学的にはできるだけ小さいうちに人工内耳手術を受けることが推奨されている。ただし、特に子どもの人工内耳の場合、手術後にどれだけきこえ、どれだけことばとして理解できる様になるかには本人の難聴遺伝子や親と専門家の言語指導、リハビリテーション体制など多様な因子が関わっているので、単に人工内耳手術だけで説明できない幅広い個人差がある事を銘記すべきである。

●術後のリハビリと環境調整
 人工内耳の術後には「マッピング」と呼ばれる調整を継続的に受ける必要がある。特に生まれつききこえない・きこえにくい子どもたちでは、(リ)ハビリテーションが必要になるために専門家からの継続的な支援が欠かせない。仮に「音をききとる」レベルの発達が成し遂げられたとしても、円滑なコミュニケーションを取ることができることばの力や、深いレベルの理解を伴うことばの力が習得できているか否かについては、就学後、成人に至るまで十分な支援体制が必要である。
 人工内耳で得られる聴力は、補聴器など他の多くの聴覚補償機器と同じ様にきこえる人と同じではない。従って補助的なテクノロジー(2.4GHz無線通信やループシステム)の使用、情報保障(字幕、要約筆記など)による援助や視覚的コミュニケーション手段(読話、手話)は非常に有効である。また、静かな環境の提供や、口元を確認しやすい照明など、環境を整備することも非常に重要である。

●まとめ
 人工内耳では、従来の補聴器では対応出来ないような高度難聴の場合でもことばの音をきき取るチャンスができる。しかし、そのためには、
 ①高い確率で危険を回避できる安全な手術手技
 ②適切なマッピングを提供出来る専門家
 ③個々の必要性に応じたきこえとことばの継続的な(リ)ハビリテーションプログラムと情報保障の
  仕組みも含めた環境調整
などが必要であり、その上でもまだ残る課題があることを理解すべきである。

論点-② きこえない・きこえにくい聴覚障害への理解と配慮を踏まえた上で、人工内耳装用児に対して、どのような理解と配慮が必要か。

●はじめに
 きこえない・きこえにくいという聴覚に障害のある人たちは、基本的なコミュニケーション手段がきこえる人たちとは異なる障害であると言ってよい。いわゆる聴覚障害の二次的障害は「コミュニケーション障害」と言われる。
 従来、聴覚に障害のある人たちに対する教育は、きこえる社会の中で生きていくために、「きこえて、話せる」ことが追及されてきた。しかし、長年にわたる聴覚障害当事者団体の社会的な運動、また国連の障害者権利条約批准とこれにともなう国内法の整備等が行われたことをきっかけに、きこえない・きこえにくいことをありのままに受け止め、音声言語にアクセスできる環境整備とともに、聴覚に障害のある人たちの言語である手話を認め、きこえない・きこえにくい人たちに寄り添うようになりつつある。

●聴覚障害者の特性と社会環境
 近年、きこえる人たちに理解されてきたことは、手話をコミュニケーション手段とする聴覚障害のある人たちは、日常的な生活面で不便なことはあっても、決して不幸な日々を送っているわけではないということである。多くのきこえる人たちと生活する中で、不便なことは多々あるが、それらは、きこえない・きこえにくい人たちには音情報がきちんと届かないからであり、本人の努力で解決する類いのものではないことがほとんどである。しかし、多くの情報を視覚等で取り込むことは可能である。そうした特質を生かした生活用品(光で訪問を告げる呼び鈴やバイブレーター付の目覚まし時計など)や見通しのきく職場といった環境整備がなされつつある。また、100%分かるコミュニケーションは「音声」のみでのやりとりではなく、「手話」もしくは「文字」でのやり取りが必要であることの理解が広がり、手話は市民権を得るようになり、IT社会は聴覚障害者に「文字」でのコミュニケーションを容易にした。聴覚に障害のある人たちに対するこうした理解や配慮は、近年徐々に広がりつつある。

●人工内耳装用児の増加
 一方、医学界では子どもの頭部にインプラント(電極と受信コイル)を埋め込み、「きこえ」のレベルをアップして「きこえ」や「話す力」をつける方法が開発されてきた。いわゆる「人工内耳」と言われるものである。社会の多くはきこえる人であるがその中の少数派である聴覚障害児・者にとって、少しでも「きこえて」「話せること」は、多くの利便性をもたらすと考えられている。
 実際、近年、聴覚障害児の保護者の中で人工内耳の施術に踏み切る人が増加している。聴覚障害児の保護者の90%以上が「きこえる」人である以上、「人工内耳」を選択することは否めない。なぜならば「きこえない」「話せない」ことは不幸であると考えるからである。

●軽度難聴から学ぶこと
 しかし、考えなければならない問題がある。それは人工内耳を装用しても、きこえる人と全く同じ「きこえ」にはならないということである。いわゆる、軽・中度難聴児と同じであるということである。この点を十分に踏まえて、人工内耳装用児に対して配慮したコミュニケーションを行う必要がある。
 近年、軽・中度難聴者の体験談から次のようなことが分かった。「私が普通に話すので、相手は、私が十分きき取れていると誤解して話を進めてくる。しかし防音室の中でならきき取れるが、普段の生活場面では相手の話をきき取れないことが多い」「騒音のある街中や会社の中、居酒屋などではほとんどきき取れない」「きき取れないことから、コミュニケーションが不完全なことが多い」「きき返すことは相手に不快感を与えるので、分かったふりをしている」「いつも曖昧な状況の中で生活せざるを得ない」。
 人工内耳装用者もこれと同じ状態である。その上、人工内耳装用児・者は体外装置を外した場合、完全な「ろう」になり、さらにコミュニケーションが難しい状態になる。

●軽中度難聴と人工内耳への理解と配慮
 こうした現実を周りの者たちが理解し、人工内耳装用児に接する必要がある。
 まず、保護者が「きこえ」に対する過度な期待を持つことのないように理解してもらうことである。聴覚障害児は「目の人」と言われることもあるが、コミュニケーションを完全に達成できる手段は「視覚言語」の「手話」であり、「文字」であることを十分理解し納得してもらう。「音声で話せること」はそれを受けるきこえる人にとっては助かるものの、聴覚障害児・者自身は、静かな場所や聞きなれた声の人との会話はある程度可能だが、きこえる人と同じきこえ方ではないことを理解してもらう。きこえる人は、常時「きこえる」状況下にあり、きこえない・きこえにくいことを想像することが非常に困難である。そのため、聴覚障害児・者が目で理解し行動している事に対して、聞こえていると錯覚することが多い。
 軽中度難聴児が、そのある程度明瞭な発音ゆえにその発音と同程度の明瞭さできこえていると錯覚され、地域の学校でも問題なくやっていけると誤解された過去の失敗を繰り返さないためにも、同じような状況下にある人工内耳装用児の学ぶべき環境は慎重に考える必要がある。

●保護者に対する人工内耳についての理解と配慮
 あるろう学校では、当初人工内耳装用児の保護者は、乳幼児相談を終えると地域の学校を選択していた。しかし、最近の保護者は、乳幼児相談期に適切な支援を得た結果、進路としてろう学校の幼稚部を選択する傾向も見られてきた。新生児聴覚スクリーニング検査で多くの保護者は0歳の時にろう学校の門をくぐる。その際、ほとんどの保護者は「人工内耳」の情報を得ている。「人工内耳」を装用すれば「きこえる」と同じになるという夢を抱いてろう学校を訪問する。こうした保護者に対し、より多くの「人工内耳」についての情報と「きこえにくい」ことへの理解を促す支援が必要になる。
 支援の例として、医師からの人工内耳に対する医学的な情報の提供、言語聴覚士からの実際の人工内耳装用児へのアプローチについての話、人工内耳装用者の体験談、軽中度難聴者の話、人工内耳装用児を育てた保護者の話、人工内耳を選択しなかった保護者の話などの学習会への参加を勧める。一方、両耳に印象材を詰めて人工的に40デシベルぐらいの軽度難聴を体験する「難聴疑似体験」や4人から5人の手話を使うろう者の中に一人だけきこえる保護者が加わって雑談をするマイノリティー体験などにより、実際にきこえない・きこえにくい子どもの立場を理解する機会をろう学校の乳幼児教育相談では設ける必要がある。
 また「聴覚障害」についての正しい理解と子どもとのコミュニケーション習得への支援も必要である。まずは、子どもと心を通い合わせることができるコミュニケーションとして手話を習得する時間と空間を用意する必要がある。異次元の世界を体験するきこえる保護者は、はじめ戸惑うこともあるが、手話の魅力を感じると同時に、二言語を学ぶことの喜びを語る人もいる。手話を用いることで子どもとのやり取りが成立し、楽しい親子の会話が行われることで、子育てに励みが出てくる。子どもに聴覚障害があると分かった場合、保護者が子どもとのコミュニケーション手段として手話を習得する支援は、いち早くなされるべきである。
 「聴覚障害」についての学習は、ほとんどのきこえる保護者にとっては知らない世界の事柄なので、丁寧に繰り返し行う必要がある。
 「聴覚障害児」と宣告されて、多くの保護者は「何とかきこえるように、話せるようにならないか」という思いでいっぱいである。そこにこうした学習会や体験への参加が多くの保護者の「きこえない・きこえにくい」子どもへの理解を促し、ろう学校での支援を受けるうちに、ありのままの子どもの姿を受けとめ、認められるようになっていく。つまり保護者の聴覚障害に対する考え方が変化していく。そして異なるコミュニケーション手段を持つわが子を認め、自らも「手話」を習得する。その結果、0歳児の時期から子どもと通じ合う歓びを味わうことができるようになる。

●おわりに
 保護者は子どもにとってできる限りのことをしてやりたいと思い、実践するものである。手話で十分コミュニケーションができる親子であっても、きこえる人たちが多勢を占める社会の中で、「少しでもきこえて、話せる」手段があればと考え「人工内耳」を選択する保護者も少なからずいる。それは選択の自由であり、個々の保護者の考え方であって一方的に否定はできない。「手話」での親子のコミュニケーションという土台があるならば、その上に「人工内耳」を装用することは、きこえない 世界ときこえる世界とのバイリンガルとしての選択となるであろう。
 その後、子ども自身がアイデンティティを形成していく中で、人工内耳との付き合い方を探っていくと考えられる。今後は、多くの人工内耳装用者の声に真摯に耳を傾けていくことが大切である。

論点-③ 医療関係者、医療従事者が、聴覚障害があると分かったときに保護者に提供すべき情報はなにか。

●口話主義がもたらしたものとは
 昭和初期に、当時の文部大臣が「ろう学校の教育は口話で」と訓話した後、多くのろう学校で手話が排除されてしまった。ろう児の両親は90%以上がきこえる人なので(この比率は今も変わらない)、我が子が「少しでもきこえる人と同じように話せるようになってほしい」と考えるのは自然なことであった。口話というのは、「きこえないけれどきれいに発音する」ことを指す。21世紀の現在では、診断も補聴方法も大きく進歩し、通じる発音自体が可能なろう者もいる。しかし、20世紀末まで補聴器がなく、あるいは補聴器の性能がまだ十分ではなかった時代に、「きれいに発音」できるようになるために苦しみながらも一所懸命、口話を練習してきたろう者たちは、卒業して社会にでると、誰にもその発音が通じないことを初めて知り、愕然としたのである。手話が禁止されて口話に費やされたあの年月が、もし手話での教科学習に使われていたなら、もし手話を活用した日本語の読み書き学習(リテラシー)の教育方法の研究に使われていたなら、私たちろう者の少なからぬ人々の人生が大きく変わっていたことだろう。

●過去の教訓を生かして
 ときを経て、21世紀もまもなく20年に達しようとしている現在、聴覚障害を取り巻く環境は、驚異的なまでに変化している。
 新生児聴覚スクリーニング検査の登場によって、生後4~5カ月から聴覚障害児に対する療育が可能になった。療育方法については、保護者のきこえや、子どものきこえによって様々な選択肢から選べるような社会環境が理想的と考える。前述したように、人口比ではきこえる人が絶対的に多く、保護者も医師も「少しでもきこえる人と同じように話せるようになってほしい」と考えるのは自然であろう。しかし、昭和初期に辿った歴史は、手話が事実上禁止され、社会では通じない発音の訓練と日本語も十分に身につけられなかったという悲惨なものであった。これを現代の聴覚障害を持つ子どもに繰り返してはならない。きこえる医療関係者には、是非このことを知ってほしいと思う。

●正しい情報提供の上での選択の自由
 私たち全日本ろうあ連盟は、どの人も様々な言語を習得する権利を持っていると考える。したがって、例えば新生児聴覚スクリーニング検査経由で重度難聴と診断され、両親がきこえる人で音声言語の習得を望み、その手段として最初は補聴器で、次に選択肢として人工内耳が視野に入ることは自然なことだと考える。ただし、音声言語だけが言語であり、手話を使ってはいけない、つまり手話を否定するという考えを、医療側から保護者に伝えることがもしあるとすれば、このことについては人権の立場から反対を表明するものである。きこえない子どもにとって、きこえる子どもと同じようにきこえることは決してないのである。例えば、子どもが就学し思春期を迎える頃になると、「きこえるみんなが笑っているときに自分だけ意味がわからず困惑する」という負の体験を積み重ねてしまうことを意味する。どんなに早期発見されても、どんなに補聴器や人工内耳が進歩しても、きこえる人が多い社会で聴覚障害をもつ子どもが耳だけで安心して生きていけることはない。人工内耳を装着している人の装用閾値が30デシベル前後とは、「きこえる人と同じではない」ということを意味する。このため人工内耳装用児の中には、自分はきこえる人と同じだと思ってきたのに、本当は異なることに気づいてひそかに苦しんでいるという事態も実際に起こっている。
 いうまでもなく、きこえる世界の他にきこえない世界があり、そこでは手話が日常言語として使われている。私たちは、幼い頃、口話のみの教育で苦しみ、その後手話に出会って自分の本当の言語を発見したという強烈な経験を忘れてはいない。重度難聴はもちろん、本来は聴力レベルに関わらず多くのきこえない・きこえにくい子どもたちやその保護者(きこえる人)に手話でのコミュニケーションも有力な選択肢であることを伝えたい。   
 しかし、社会環境の整備が未だ道半ばで、手話も言語であるということが十分認知されているとは言い難い。現在、新生児聴覚スクリーニング検査後に診断されて間もない聴覚障害のある子どもの保護者に、手話の世界もあることを積極的に伝えていく方法を模索しているところである。

●医療従事者、特に医師に望むこと
 これまでの負の歴史や現在すでに起こっている新たな状況を鑑みると、「早期発見により補聴器や人工内耳できこえる人のようになる」という単純な図式では解決できない事柄が多いのは明らかである。聴覚に障害のある子どもたちに関与する医師が行う診断は、保護者にとって絶対のもの(医学的事実という意味で)である。そのため、ともすると医学的診断以外についても絶対であると誤解されがちなため、医師には意識して応対してほしいと切に望むものである。例えば「手話について医師から一言も説明されなかったため、手話は使ってはいけない(医師側はそう思っていなくても)と誤解されることもある。
 なお2014年に改訂された『日本耳鼻咽喉科学会「小児人工内耳適応基準」の見直しの概要と解説』には、「手話などの音声を用いないコミュニケーションの選択についても可能な限りの情報提供が行われるべきである」と記されており、連盟の考えと一致する。
 現場の医療関係の方々、とくに医師にお願いしたいことは、重度難聴児に対する療育方法の選択肢が多岐にわたるということを、医学的診断とは明確に分けて説明し、かつ多岐にわたる療育方法について、診断のときに同時に呈示していただくことである。これによって、きこえる保護者は方向性の真の指針を得ることができると考える。しかし、そのためには、全国各地に、小児難聴を診断する専門医のみならず、その周囲に聴覚活用(音声言語)も視覚活用(手話言語)も同等に提供できる療育施設等の整備が必要である。この点の環境整備は十分とは言いがたく、今後、子どもの成長に合わせて、関係職種で協力して取り組むべき課題である。

●連盟のやるべきこと
 医学医療の進歩はめざましく、それにより、今後様々な個人背景を持つきこえない・きこえにくい子どもが増えていくことは確実である。連盟は、どのような聴力レベルであろうとも、また補聴器使用の有無や人工内耳使用の有無と関係なく、聴覚障害者が安心して自由にコミュニケーションできる言語であり手段としての手話の世界を守り、いつでも手話の世界に歓迎できるような体制作りに努めていきたいと考える。

論点-④ 人工内耳装用児を含め、聴覚障害の子どもたちの環境整備と支援のあり方はどうあるべきか。

●はじめに
 聴覚障害児の数は、重複障害児や軽中度難聴児を加えると、その数は減少しているわけではない。そうした「きこえない・きこえにくい」子ども達の環境整備や支援は十分になされているのだろうか。

●環境整備と支援
① 子どもたちの居場所
 子どもたちの教育的な環境として最も適切な場所は、自由なコミュニケーションが保障される集団(コミュニティ)である。そこでやり取りされるコミュニケーション手段は、全員が100%分かる手段でなければ意味がない。きこえる子どもにとっては、地域の学校で問題はない。しかし、きこえない・きこえにくい子どもの場合は事情が異なってくる。きこえない・きこえにくい子ども同士でやり取りされる共通のコミュニケーション手段は「手話」である。しかし、近年少子化のため、大都市圏においては一定の集団が確保されるが、地方においては、ろう学校の集団の確保も困難となりつつある。そこで、成人した聴覚障害者のコミュニティがあり、聴覚障害者団体があることを知ってもらうことが大切である。近年、聴覚障害者団体によって、きこえない・きこえにくい子どもたちと成人の聴覚障害者が交流する機会を設ける取り組みが行われている。また放課後児童デイサービス事業の取り組みが始まっている。
② 情報保障
 学校内は、きこえない・きこえにくい子どもたちにとって、目で見て分かる情報伝達手段がIT機器を活用して十分になされるべきである。きこえる子どもたちが耳で聞いて情報を受けるように、聴覚障害を持つ子どもたちは視覚的な情報伝達手段を十分に活用できることが必要である。常に子どもたちに情報が適切に正しく届くように配慮されることが大切である。人を介しての情報保障もこれに含まれる。
③ 人的環境(ロールモデルとしての人的設置)
 人的環境としては、子どもたちが往々にして身近な大人に自らの将来像を求めることを考えると、ろう学校には多くのろう者・難聴者・人工内耳装用者である教員の配置が望ましい。また聴覚障害者団体と連携し、成人聴覚障害者との交流の場を設定することが大切である。将来、社会人となる子ども達が、自分は何者であるかという自己形成に関する問いに答えられる教育がなされることが望ましい。幼いときから、自分はきこえないあるいはきこえにくい人間であることを自覚し、自分の将来像を描けることが必要である。同時に、子どもが自己肯定感を持って毎日の暮らしを送れる学校生活が望ましい。したがって、そのロールモデルとしての人的配置やろうコミュニティを環境として提供することは不可欠である。
④ 日本語の力
 聴覚障害児に対する学校教育における専門的な支援として、日本語習得のための教育がある。日本語の読み書きの力を十分に身に付けさせ、子どもの資質に応じて日本語の音声言語の習得をも支援していくことが望ましい。きこえる人たちとともに日本という国で生活をする「きこえない・きこえにくい」子どもたちにとって、日本語の読み書きは不可欠であり、それを学校教育の中で習得させることが必要である。それにより日本語での思考力を高め、筆談の際に正確な伝達力を身に付けることにもつながる。手話言語と日本語は全く別の言語であり、日本語の読み書き教育においては高い専門性が求められ、現時点でも課題となっている。個々のきこえない・きこえにくい子どもに適した日本語習得の方法が様々に工夫され、実践されることが必要である。
⑤ 障害認識
 家族や社会の中で、きこえない・きこえにくい子どもたちが、自分の障害を正しく認識するために、教育の中で障害認識について学べる機会を持つことが望ましい。地域の聴覚障害者団体や地域の聴覚障害者に協力を得ることは不可欠である。「障害認識」と堅苦しくしなくても、絵本の手話語りや自身の体験談などの講話を地域の聴覚障害者に依頼するのも障害認識をするための有効な手段であると考える。子どもたちは自分と同じきこえない・きこえにくい大人から多くのことを学ぶことだろう。人工内耳装用者からも同じように話を伺うことが大切である。
⑥支援体制の確立
 きこえない・きこえにくい子どもたちに関わる環境整備や適切な支援を行うためには、医療、療育、教育、福祉、行政等の関係者・機関が連携をとれる支援体制が求められている。例えば、言語聴覚士は医療従事者でありリハビリテーション専門職であるが、近年、ろう教育の場や聴覚障害者情報提供施設においても、聴覚分野に詳しく、手話もできる言語聴覚士のニーズが高まっている。また、きこえない・きこえにくい子どもの保護者への支援として、成人聴覚障害者の実態を理解するとともに、手話を身につけるなどのための学習体制の確立が求められている。そのためには、聴覚障害者団体、及び聴覚障害者情報提供施設が相談支援の窓口となり、関係機関・団体とのネットワークの要となることが大切である。

おわりに
 きこえない・きこえにくい子どもたちは、高度・重度難聴児のみならず人工内耳装用児も含め軽中度難聴児、重複障害児など多様化している。こうした子どもたちがそれぞれに環境が整備され、適切な支援を受けられるには、多くの資金が必要になるだろう。しかし障害のある子どもも人間として、社会の一員として、十分その存在意義を示せる社会が本来の幸せな社会と言える。そのためには、どんな子どもも十分な物理的・人的環境がなされた教育がなされることが望ましい。
 また、きこえない・きこえにくい子どもたちが手話を身に付けること、保護者が子どもとの自然なコミュニケーションのために手話を学ぶこと、学校で教員と子どもたち同士が手話でコミュニケーションできること、必要なときに手話通訳者、要約筆記者の派遣が受けられることなど、全日本ろうあ連盟が制定を目指してとりくんでいる「手話言語法(仮称)」そして「情報・コミュニケーション法(仮称)」の法整備も必要である。

● 人工内耳に対する見解 ●
~人工内耳装用児とその保護者等への支援についての当面の方針~

 人工内耳は、日本において一定の存在を示す医療技術の一つです。これは従来の補聴器では十分な補聴が困難であった高度難聴に対しても聴覚を提供することができます。しかし、結局のところ補聴方法の一つであることに変わりはなく、人工内耳で得られる聴力は、補聴器など他の多くの聴覚補償機器と同じように、きこえる人と全く同じではありません。音声を「ことば」としてきき分けられるようになるためには継続的なリハビリテーションが求められます。また他の医療技術と同様、未だ多くの技術的限界を有しています。

 私たちは、人工内耳を装用することを否定はしません。また、人工内耳を装用しているからといって、聴覚障害者である事実に変わりがないので、人工内耳装用児・者に対して聴覚障害者を対象とする福祉制度の利用や情報保障が制限されることのないよう主張します。きこえない・きこえにくい各個人の必要に応じた適切な社会的支援が提供されるべきです。

 私たちは、人工内耳装用の有無にかかわらず、きこえない・きこえにくい子どもたちが、それぞれの障害の状態に応じた適切な教育的支援を受けられるべきであると主張します。きこえない・きこえにくい子どもたちが、きこえる人たちと対等に社会の各分野で活躍していくためには、適切なことばの力の発達が必要です。学校教育において「音声言語と手話言語の二つのことば」を通じて、日本語の読み書きの力を獲得することが必要です。日本で生まれた子どもたちが「日本語ということば」を獲得できる環境があり、学べる学校が保障されていることと同じ意味で、きこえない・きこえにくい子どもたちには、「手話ということば」を獲得できる環境・学べる学校が保障される権利があります。手話は、すべてのきこえない・きこえにくい子どもたちにとって生きていく上での拠り所でありセーフティネットとなる言語です。
 また、ろう者とは、補聴手段に関係なく、コミュニケーションを通じて手話言語の必要性を自覚し、アイデンティティを形成していく中で、自らを「ろうである人間」と自覚した者です。従って、人工内耳装用者も、私たちと同じようにろうコミュニティの一員となることができます。
 人工内耳により聴覚を回復する可能性がある一方で、実際の効果には個人差が極めて大きいことや、音声言語のみならず手話言語を使用するコミュニティもあることをきちんと情報提供されるべきと考えます。

 なお、医療を受ける患者は、自らのための医療行為を選択し、決定する最終的な権利を有します。人工内耳が医療行為である以上、この補聴手段を選択するのは各個人の自由ですが、本質的には乳幼児その人が決定権を有することになります。しかし、乳幼児は自ら意思決定することができません。したがって現実的な対応として、保護者に対する支援と一体になった自己決定権を保障する必要があります。私たちは、きこえない・きこえにくい子どもたちの将来のため、適切かつ必要な情報を提供し支援を行う責任を感じています。

 以上の考え方に基づいて、私たちは、人工内耳に関わる医療従事者との対話を深めていく必要があると考えます。そして、「Nothing about us, without us.」(私たち抜きに私たちのことを決めないで) の原則に基づき、聴覚障害をもつ当事者団体として、医療・療育・教育・福祉・行政等と連携し、調査、研究、議論を幅広く行い、人工内耳を含む、きこえない・きこえにくい子どもたち、人々に対する支援体制の確立に向けて取り組んでいきます。

一般財団法人全日本ろうあ連盟

人工内耳に対する見解を示すプロジェクトについて

【プロジェクト設立の目的】
 昨今、人工内耳の技術進歩が進み、人工内耳装用児・者は増加しています。それに伴いさまざまな課題が出ています。特にろう教育現場では人工内耳装用児の増加のため、ろう児一人ひとりの対応の幅が格段に拡がり、教職員の対応の課題も多岐にわたっています。連盟では、人工内耳の現状と課題を把握し、連盟としての方向性を示すため、2015年2月、「人工内耳に対する見解を示すプロジェクト」を立ち上げ検討を開始、パブリックコメントを経て、見解をまとめました。

【プロジェクトメンバー】*肩書は2016年5月時点
小中 栄一(委員長)(一般財団法人全日本ろうあ連盟 副理事長)
小出 真一郎(一般財団法人全日本ろうあ連盟 教育・文化委員会委員長)
石橋 大吾(一般財団法人全日本ろうあ連盟 教育・文化委員会副委員長)
中澤 操(耳鼻咽喉科医:秋田県立リハビリテーション・精神医療センター機能訓練部長)
福島 邦博(耳鼻咽喉科医:新倉敷耳鼻咽喉科クリニック 院長)
高岡 正(人工内耳ユーザー、一般社団法人全日本難聴者・中途失聴者団体連合会 前相談役)
南村 洋子(全国早期支援研究協議会 会長)

【経過】
2014年11月 連盟理事会にて「人工内耳に対する見解を示すプロジェクト」設立承認
2015年2月~2016年2月
      委員会を4回開催。第2回開催時のヒアリングに下記の方をお呼びした。
      ・大谷恭子氏 弁護士(子どもの自己決定権について)
      ・大沼直紀氏 元筑波技術大学学長(補聴器と人工内耳の装用者の共通点と
                       違いについて、難聴児の教育に関して)
      ・佐藤千里氏 埼玉県坂戸ろう学園の保護者(ろう児の保護者の立場から)
2016年3月 連盟理事会にて審議
2016年6月 連盟評議員会にて論議、全国ろうあ者大会研究分科会「教育」にて
       シンポジウム開催、一般参加者よりアンケートにて意見を聞く
2016年7月 連盟理事会にて審議
2016年7~8月 パブリックコメント募集
2016年11月 連盟理事会にて審議
2016年12月 公表