訃報:イェーカー・アンダーソン世界ろう連盟名誉理事長



 イェーカー・アンダーソン世界ろう連盟名誉理事長が、2016年7月18日、米国メリーランド・フレデリックで永眠されました。アンダーソン博士は、WFD副理事長を2期(1975-1983)、また、WFD理事長を3期(1983-1995)にわたって務め、全大陸のろう協会と連絡して会員を拡大し、国連その他の国際機関でろう者の人権を擁護する活動に携わってきました。また、1992年、ろう者で初めて、国連総会で演説しています。彼の取り組みに敬意を表するとともに、心よりご冥福をお祈りいたします。

 イェーカー・アンダーソン世界ろう連盟名誉理事長の訃報に際し、心より哀悼の意を表します。

 アンダーソン氏は、世界ろう連盟の草創期を支え、ろう者の人権の確立と保障に尽力されてきました。手話がろう者がろう者として生きるための基礎であり、アイデンティティであることを提唱し、それぞれの国のろうあ連盟の運動を理解するとともに、惜しみない支えと助言を与えてくれました。アジア地域事務局が軌道に乗るまでの間、毎年地域事務局会議へ参加し、私たちを見守り続けたのもアンダーソン氏です。
 このほかにも、世界ろう者会議ではいち早く「LGBT」といった当時まだ理解が十分でなかった分野の分科会を取り入れています。それは、アンダーソン氏のすべての人々を受け入れる姿勢と思想の表れでもありました。

 また、日本において「第11回世界ろう者会議」を開催するとともに、その後アジア地域で初めてとなる世界ろう連盟理事を、日本から送り出すことができたのは、アンダーソン氏の尽力に他なりません。アンダーソン氏は、日本を幾度となく訪れ、日本のろうあ運動や組織のありようを受け入れ、私たちを大きな力で国際舞台へと導いてくれました。
 全日本ろうあ連盟の国際活動の原点はアンダーソン氏の導きと共にあったといっても過言ではありません。

 私たちは、アンダーソン氏の「もっとも弱いものに寄り添い、ろう者としての誇りと自信をもって自立と平等を求めていく」という姿勢を忘れず、これからも日本の仲間そして世界各国の仲間と手を携えてろうあ運動を続けていきたいと思います。

一般財団法人全日本ろうあ連盟 理事長 石野富志三郎

偉大なアンダーソン氏を悼む

 このたびのアンダーソン氏のご逝去を心からお悔やみ申し上げます。
 彼は世界のろう者にろうあ運動の重要性を教えた先生であり、私が心から尊敬する友人の一人です。民主的、先進性に富む日本のろうあ運動に特に関心を寄せ、アジアで最初となる世界ろう者会議の開催や私の世界ろう連盟理事選出の後押しをしたのも彼でした。
 彼がいなければ全日本ろうあ連盟の国際活動参加はもっと遅れ、私が世界ろう連盟理事になることもなかったでしょう。
 彼と天国で再会し、ろうあ運動や手話の話しを咲かせることを心待ちにしています。

WFD名誉理事
一般財団法人全日本ろうあ連盟 参与
高田英一

 アンダーソン博士の訃報に際し、大変驚きました。私がアンダーソン博士に初めて叱咤激励をいただいたのは、日本のアジア太平洋地域事務局会議の交流会後の二次会でのことでした。
 「何でもやってみる必要で、自分が思ったことを先に行動してから、答えるべき。議論をまとめてから行動するなんておかしい!何でも試す必要があるのだ!!」とアンダーソン博士に指摘されたのです。
 私は、皆の議論を待っているだけだった自分の姿勢を反省し、それをきっかけに、自分からも提案しながらアジア太平洋地域事務局会議を進め、アジア太平洋地域の取り組みを広げてきました。
 正直申し上げて、私はまだ、アンダーソン博士がいなくなったことを信じることができません。アンダーソン博士と一緒に活動をしてきたことを私の誇りとして、博士の遺志をしっかりと受け継いでいきたいと思います。
 アンダーソン博士、本当にありがとうございました。これからは高いところから、私達を見守ってください。ご冥福を心から祈っております。

一般財団法人全日本ろうあ連盟 理事 小椋武夫
(元・WFDアジア太平洋地域事務局長)

 アンダーソン氏の訃報に際し、お悔やみ申し上げます。
 アジア太平洋地域の組織の基礎作りに心を砕いていただいたことで、今のアジアの仲間たちの連携があります。これからも私たちはアンダーソン氏の教えでもある、ろう者としてのアイデンティティを忘れずに、アジア地域のろう者のために運動を進めていきたいと思います。
 アンダーソン氏のこれまでの導きに心より感謝し、安らかに永遠の眠りにつかれる事をお祈りいたします。

WFDアジア地域事務局長
一般財団法人全日本ろうあ連盟 理事
嶋本恭規