東日本大震災から3年を迎えて 3.11声明



 3月11日で東日本大震災から3年を迎えるにあたり聴覚障害者災害救援中央本部が「東日本大震災から3年を迎えて 3.11声明」を発表しました。

- 東日本大震災から3年を迎えて 3.11声明 -

 2011年3月11日(金)、午後2時46分に宮城県牡鹿半島の東南東沖130キロメートル仙台市の東方沖70キロメートルの太平洋の海底を震源とする東日本大震災が発生した。
 この大震災は、地震、津波、液状化現象及び地盤沈下、東京電力福島第一原子力発電所で炉心溶解が発生し水素爆発により大量の放射性物質の漏洩を伴う原子力事故など戦後最大の複合災害となった。
 死亡者及び行方不明者は、18,520人(2014年2月現在政府発表)になり、そのうち障害者の死亡率は住民全体に対する死亡率の2倍にも達していたという事実が明らかになった。中でも防災無線が聞こえず津波が来ることも知らずに亡くなった聴覚障害者が多くいた。
 被災地では、復旧・復興がある程度進んでいる地域がある一方で、現在でも仮設住宅等における生活を余儀なくされている被災者が数多くいる。また、福島県では帰還困難区域や居住制限区域が指定され、避難を続けなければならない多くの被災者が存在する。これら避難・転居を強いられている人々は27万人にものぼる。

 聴覚障害者災害救援中央本部では、聴覚障害者の現在の状況を確かめるため、被災地3県(岩手県、宮城県、福島県)を訪問し、調査を行った。
 防災無線は聞こえず、命と安全を守る情報が十分届かなかった。避難生活におけるコミュニケーションでも不安と不便を感じた。安否確認では、個人情報保護法が壁となって遅々と進まなかった。生活再建における複雑な手続きや就労への不安など生活に関わる相談についても、手話通訳者やろうあ者相談員の不足で支援が十分なされていない現状が浮き彫りになった。
 そして、震災発生後にその恐怖や不安、無力感などから心に傷を負い、今もなお苦しんでいる聴覚障害者の被災者や手話通訳などの支援者が多くいることがわかった。また、地域防災学習会や気象庁の出前講座で、聴覚障害者の地域の防災力を高める学習を通じて、平時の際の備えを十分整えることが重要であることを学んだ。
 今後、いつ起きうるかわからない災害に備える、今なすべきことは、聴覚障害者関係団体が連帯して聴覚障害者情報提供施設を中心に据えた体制を構築し、地域行政との連携を強固なものにすることである。
 自分の命を守るためには、普段から近隣の地域住民と交流することで顔見知りになることが優先される。それは、手話の広がりや聴覚障害者の障害特性の理解を広げることにも繋がる。

 障害者権利条約や改正障害者基本法に「言語(手話を含む)」ことが明記され、手話言語条例や意見書が地方議会で次々と採択されている。手話が言語として当たり前に使える情報・アクセシビリティの向上が図れる社会が今まさに求められている。国民の多くが、聴覚障害者のコミュニケーション手段である手話を学び、手話を習得することによって、心のバリアを取り除くことができ、そのことによって災害による被害をより少なくすることができるものと考える。
 また、地域に手話通訳や要約筆記などの保障がなく日常の情報が入らず困難な生活を余儀なくされている聴覚障害者をなくすため、早急に市町村において手話通訳者、要約筆記者の養成・設置・派遣の制度を構築することが求められる。
 このように社会の環境を整えることにより、地域の人々が聴覚障害者と共に避難するような関係作りが、当たり前にできるのである。

 二度と「逃げろ」という言葉が聞こえなかったということは許されない。
 東日本大震災から3年を迎える本日、聴覚障害者災害救援中央本部は、改めて聴覚障害者、手話通訳者、手話サークル会員そして手話関係者の命と安全を守る取り組みを進め、これら全ての関係者に対する支援の一層の充実を関係機関に求めるとともに、自らも被災者の声に真摯に耳を傾け、生活再建や被災地の復興に向けた支援活動をこれまで以上に進める決意であることをここに表明する。

2014年3月11日

聴覚障害者災害救援中央本部    
運営委員長 石野 富志三郎  
〈構成団体〉           
一般財団法人全日本ろうあ連盟   
一般社団法人全国手話通訳問題研究会
一般社団法人日本手話通訳士協会