「人権救済申立」に対する全日本ろうあ連盟の見解
2003年5月、日本弁護士連合会(以下「日弁連」と略す)に対して人権救済申立が行われました。申立人はろう児と親をあわせて107名、申立の趣旨は文部科学省が「日本手話」をろう学校における使用言語として認知・承認するべきことと、ろう学校教員に対する「日本手話」の研修を実施すること、及びろう学校教員養成に「日本手話」の科目を設置することを求めることにあります。
この人権救済申立はマスメディアで大きく報道され、2003年度の全日本ろうあ連盟(以下「連盟」と略す)評議員会でも、ろう運動との整合性を心配する声が多く寄せられました。そこで、連盟の見解を以下の通り述べたいと思います。
手話はろう児の言語発達に欠かせない言葉です。ろう児が自らの障害を正しく理解・認識して生きる力を身につけるためにも重要なものです。この考えに立って、連盟は早くから教育対策部を設立し、文部科学省にろう学校への手話の導入を強く要望してきました。そしてろう教育に関わる多くの人たちと共通の理解を育んでいくことを目的に、1989年から毎年の「ろう教育を考える全国討論集会」に取り組み、「ろう学校への手話の導入」を基本テーマにろう学校教職員を中心とした教育実践や意見の交換を積み重ねてきました。
この連盟が一貫して追求してきたテーマは、人権救済申立のそれと一見共通しているように見えます。
しかし、その具体的な内容については、幾つかの点で、連盟の考え方は基本的に異なっています。
まず、申立書では手話を「日本手話」と「日本語対応手話」に二分し、峻別しています。しかし、言語の理論的研究としての区分はあり得ますが、現実のろう者のコミュニケーションとしては、手話はさまざまな形で使用され、安易に二分できません。申立書での「日本手話」の定義説明も抽象的理論としては特に異論はありませんが、では、具体的にどんなことかと言われるとさまざまに議論が分かれます。申立人の間でも意見が分かれるのではないでしょうか。
手話を、ろう者の現実のコミュニケーションから離して、抽象的・理念的定義に無理に当てはめ二分してしまう考え方は、ろう者の現実を無理に分類することであり、結果としてろう者を分裂させる恐れを孕んでいます。万が一、コミュニケーション方法の優劣を論じることに結びつくと、逆に人権侵害につながる恐れなしとしません。
連盟はもっと広い意味での手話の導入と、児童・生徒間での手話による自由なコミュニケーションの保障を全国のろう学校で実現させることが、現時点における全国共通の目標になるものと考えます。
次に、この人権救済申立によって提起された「人権侵害」についてです。広い意味での手話導入が優先課題であり、申立書に言う「日本手話」と「日本語対応手話」二分論には無理があること、まして教育の場において位置付けるのは一層無理があるということは先に述べたとおりです。したがって、申立書に記載されている内容を一律に「人権侵害」と把握することは、教育現場の変革が明日にでも可能であるような誤解を招くことになります。手話という面からはろう学校を今すぐ変革できる方法はありません。
では、どのようにして体制を整えていくべきなのでしょうか。具体的にはろうの教職員の採用を積極的に推進すること、ろうの教職員を中心に、教職員と保護者が協力して学校全体に手話の重要性についての認識を広げ浸透させていくこと、手話による指導カリキュラムを開発していくこと等の取り組みが考えられます。そして、手話の国民的普及運動が手話通訳制度の発展を切り開いてきた過去50年の歴史に学び、運動の輪を粘り強く広げていくことが何よりも大事でしょう。
最後に、手話とは何かという、ろう者の間でも議論の分かれる大きな問題について、手話と直接の関わりを持たない日弁連という組織の判断を求める発想には、賛成しかねるということを付言いたします。
連盟はろう重複障害者を含めた耳の聞こえない人たちや手話を学ぶ人たちと一緒に、社会の変革を目指す運動の中で、ろう教育に関しても今まで以上に議論を深め、ろう教育現場での取り組みや手話の研究の推進、政府への要望活動に全力を注いでいきます。
2003年10月17日
財団法人全日本ろうあ連盟