【ICSD eNews 2006年10月号】


◆ニュージーランドのろうスポーツマン逝去


ニュージーランドろう者スポーツ協会はジョン・マクレイの逝去という悲しいニュースをお知らせします。ご遺族と、ニュージーランドろう者スポーツ協会の家族に、お悔やみを申し上げます。

ジョン・マクレイは1927年8月8日に生まれ、2006年9月6日に死亡。

ジョン・マクレイは1947年- 1965年の間、故郷のオークランドおよび海外で有名なレスラーであった。聴者社会およびろう者社会を通じ、広い範囲の活動に関心があった。

少年のころ、ジョンはろう児のためのサマースクールに寄宿した。その後、第二次世界大戦開戦新しくできたティティランギろう学校に通い、同校を卒業した。

卒業後、彼は余暇時間をオークランドのYMCAでバスケットボールとレスリングをして過ごした。ニュージーランドレスリング協会のライト級のクラスに入り、短期間のうちに、国内で傑出した若者アマチュアレスラーとなり、速攻かつ力の強いレスラーへと成長した。引退するまで長年にわたり、ニュージーランド・アマチュアレスリング選手権でライト級、ウェルター級、そしてミドル級で数々の対戦相手と戦った。

1949年に、自国ラトビアから紛争から逃れてニュージーランドにやってきたルブリスとスヴィケルスによって、世界ろう者スポーツ大会の情報がもたらされた。ジョンはルブリスから世界大会に参加するように勧められたが、当時ニュージーランドのろう者は地元のデフ・クラブのための資金集めに集中しており、思ったような支援が得られなかったと述べている。しかし、彼は自費でブリュッセルで開催された1953年の世界ろうスポーツ大会に参加し、ニュージーランドを代表した。

1963年にニュージーランドろう者アマチュアスポーツ連盟が結成された。にニュージーランドから関心を示す書簡が国際ろう者スポーツ委員会に対して送られた。

業績:

ジョンは以下のタイトルを持っている:チャンピオン(オークランド・ライト級)1949 ,1950, (ウェルター級)1952, 1954, 1955, 1956, 1960, 1961, 1963, 1964, (北島)1962, (ニュージーランド2位)1949, 1952, 1961, 1963.

1952: トーナメントの最も科学的なレスラーに選ばれ、首相からメダルと賞状を授与される。

1953: ニュージーランド のいくつかのレスリング選手権大会で優勝、ブリュッセルでの世界ろう者スポーツ大会に参加を決意。3月に船で出発、8月に到着、旅費は自己負担であった。

1961: ヘルシンキ(フィンランド)で開催された第9回国際ろう者スポーツ大会にニュージーランドは初めて参加する。ジョンはレスリングで参加し、ニュージーランドにメダルをもたらした。フリースタイルで銀メダル、グレコーローマン、ウェルター級で銅メダルを獲得した。

1962: ニュージーランド、ワンガヌイでミドル級のチャンピオンになる

1966: レスリングから引退し、テアタトゥ卓球クフラブ(聴者)で10年間地元で活動する。ニュージーランドろう者卓球オープンを開催し、4年間個人優勝した。

1968: オークランドろう協会の会長を3年間勤める。会長職の前後も他のコミュニティワークに関わる。

1981: ドイツ、ケルンでの世界ろう者スポーツ大会のチームマネージャーに選出される。

1983: マドンナ・ディ・カンピリオ(イタリア)で開催された冬季大会に参加するNZからの2人の代表のうちの1人として参加。出発前にジェスチューノを学ぶ。6年後に開催される次回世界ろう者スポーツ大会の開催地として選ばれることが目標であったが、多数決で選出された。

1985: もう一人とロサンジェルスの世界ろう者スポーツ大会に参加。1989年大会に向けて広報活動を成功裏におこなった。

1989: クライストチャーチで世界ろう者スポーツ大会開催。ジョンは名誉役員となり、また、ニュージーランドろう者アマチュアスポーツ連盟(NZDASA)の副会長となる。

ジョンのスポーツを単に楽しみ、プレーする喜びは学校時代に始まった。スポーツは彼の生活の中心であり、彼はそれに優れていた。彼のスポーツに対する献身は今の若者にとっても真のロールモデルである。


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