CISS e−news 2002年11月号

ジョン・M・ロベット会長からのメッセージ

皆さん、こんにちは。時の経つのは早いもので、2002年も残すところ後一カ月となりました。スンツバルで皆さんとまたお会いできるのも、もう間もなくです。

今回はまず、訃報をお届けいたします。このところ相次いで、CISSのために尽くしてきたお2人が亡くなりました。一人はかつてCISS執行委員を務めたベルギーのユージーン・フレイチュアで、もう一人は1997年デフリンピック・コペンハーゲン大会で陸上技術委員を務め、2001年のローマ大会には体調不良のため参加できなかった、ロシアとイスラエルのエマヌエル・スロツキーです。

私はユージーン・フレイチュア氏とは数回お会いしていますが、十分に知り合う機会はありませんでした。ベルギーの知人の話によると、彼が国内また世界において長く献身的に、ろう者スポーツのために尽力されたことがわかります。

私がエマヌエル・スロツキー氏に初めて会ったのは、1989年のクライストチャーチでした。彼はそのころロシアで陸上競技の監督をしており、彼とはそれ以来の付き合いで、極めて知的な人物だと感じていました。

CISSを代表して、お2人のご家族のご心痛をお察するとともに、心よりお悔やみ申し上げます。またお2人のCISSへのご功労に対し深く感謝いたします。

続いては良いニュースです。私は10月31日に連邦および州政府代表者(ロッド・ケンプ上院議員―連邦体育大臣、ジャスティン・マデン先生―ヴィクトリア州体育余暇大臣)による記者発表に招かれました。そこでは、2005年の第20回デフリンピック・メルボルン大会に対する資金援助について、公式に発表されました。総額は8百万オーストラリアドル(450万アメリカドル)にのぼります。ようやく経済面での支援を獲得し、今後は実行委員会に障壁がないことを祈ります。

今後数週間で、ドナルダ・アモンズ、コリン・マクドナルドと私は会場視察に出かけます。私は2009年の第21回デフリンピックの招致に立候補した、中華民国台北とギリシャのアテネを訪れます。ドナルダとコリンはフランスのメリベルを訪問し、2007年の第16回冬季デフリンピック会場施設を視察する予定です。

CISS委員の皆さんが、2月27日〜28日にスンツバルで行われる第38回評議員会までにこの視察について十分検討できるよう、結果のご報告は12月号と1月号のEニュースでお伝えします。

国際オリンピック委員会と国際パラリンピック委員会が、CISSとろう者スポーツの自主・独立性について発表した公式書類の写しは、すでにCISS全委員のお手元に郵送されているはずです。

また、この書類の内容はこの号の中でもご紹介しています。

けれども、のんびりしてはいられません。まだまだこれから社会に出て、我々がろう者のスポーツを自主管理する権利を「教育」していかなければならないのです。

では、また。

ジョン・M・ロベット(文学修士)