第23回夏季デフリンピック競技大会(サムスン2017)日本選手団サイトはこちらへ

「夢を持ち続ければ必ず成功するんだ」

茨隆太郎さん(第21回夏季デフリンピック・男子200M背泳・金メダル)

金メダルを決めたガッツポーズ

―水泳を始めたきっかけを教えてください
1歳の頃、母が僕の体を強くするためにスイミングスクールに入れたのが水泳の始まりです。幼稚園の時は練習が週2回でしたが、小学部3年の時に選手コースに入りました。このコースは3つのクラスに分かれていて、初めのクラスが週3回、次のクラスが週5回、トップのクラスが週6回でした。わたしは小学部6年からトップのクラスに入り、週に6回水泳の練習をするようになりました。場所は「東京ドルフィンクラブ 江戸川校」です。デフリンピックから帰ってきた後もここでコーチの作る練習メニューをこなしながら頑張っています。

―物心付く前から水泳をやっていたんですね!クラブではコーチとどのようにコミュニケーションをしているのですか。
私自身口話が少しできるので、コミュニケーションそのものには心配はありません。それにコーチから怒られたことはあまりないです。耳が聞こえないことが怒られない理由だと思うんですけど、いつも1対1でていねいに教えてくださいます。

―それは、みんなが集まっているときにガミガミ怒鳴っても茨さんが全てを理解できるわけではないことをコーチがわかっていらっしゃったのでしょう。1対1であれば、コーチ自身も落ち着いてゆっくり話すことができますね。さて、水泳のスポーツとしての魅力は何でしょうか。
普段の練習の時から隣同士のレーンで同級生や先輩とタイムを競い合えることが一番の魅力です。それに大会に出て少しでも良い記録を出して、水泳仲間とお互いを高めあえるところもですね。

―台北デフリンピックで200M背泳ぎで金メダルを取りましたね。おめでとうございます。そのときの様子を話してくださいませんか。
実は決勝でスタートに失敗したのでずいぶん慌てたのですが、それが逆によかったのでしょう。はじめから速いペースになって、そのまま最後まで続いたという感じです。125メートル辺りで隣の速い選手が目の前に見えたので、「あ、メダルを取れる!」と確信しましたが、最後まで気を緩めないで泳ぎ抜きました。ゴールして、左右を見て誰もいないことで「1位になった!」とわかり、そのとたんに頭の中が真っ白になりました。すごく嬉しくなって、水面を手で叩いてしぶきを上げたことを覚えています。そして選手やコーチ、応援団の皆さんが手を振ってくれているのを見てとても嬉しくなりました。みんな決勝では予選よりスピードを上げてくるのでメダルは厳しいかなと思っていただけに、意外な感じもしましたが…。

―スタートに失敗したのですか。それは光の点滅する装置に慣れていなかったということでしょうか。
光の点滅によるスタート方法には面食らいました。まったく慣れてなく、あとでビデオを見ても自分のスタートが大きく遅れていることがわかります。他の選手は前から慣れていたように思います。自分は小さいときから国内の一般大会などでずっと音によるスタート方法でやってきました。自分の聴力損失は80~85デシベルなのでピストルの音なら補聴器をはずしても聞こえます。この方法で健聴の選手に負けない自信もつけていました。

―そうでしたか。スタートに失敗しても金メダルとはたいしたもんですね。
国内では50Mと200Mに自信を持っていました。しかし、デフリンピックは国際大会ですから、50Mは外国選手がパワーとスピードを出してくるので戦えないと思っていました。200Mは逆にスタミナが必要でかなりきついだろうと思っていました。今回の大会は200Mで金メダルを取ったのですごく自信がつきました。今後は100Mと200Mに絞っていきたいなと思っています。

―100M背泳ぎではもう少しで3位でしたね。またスタートに失敗したのですか。
100Mはスタートではなく、タッチの差で負けました。あとでビデオを見てよくわかったのですが、タイムでは勝っていても、タッチするときの手の動かし方が遅かったようです。技術の差です。すごく悔しい気持ちでしたが、未熟であることに気づいたことも含めて今後の収穫になったと思います。

―50Mは力の差が出てしまいましたが、それでも記録では5位と健闘しましたね。デフリンピックから帰って、何か大会に出ましたか。
来年(2010年)のインターハイに東京都の代表として出場することが今の目標です。9月にあった東京都大会新人戦の100M背泳ぎで7位に入賞しました。でも来年は水着に関するルールも変わるし、新人も入ってくるので正直言って厳しいと思います。

―試合前に集中するためにどんなことをするのですか。
心と体の両方をリラックスさせて、目標タイムを決めることぐらいでしょうか。

―4年後のデフリンピックはもちろんめざしていますね。ところで、デフリンピックに出場したいと思ったきっかけを教えてください。
東京都立江東ろう学校小学部にいたときに、ある先生がパンフレットを見せてくださったことがあって、デフリンピックという言葉を初めて知り、日本の今村選手が金メダルを2個取ったということも知って、すごく気持ちが燃えました。絶対デフリンピックに出場したいと思いました。家に帰ってすぐインターネットで調べて、日本ろう者水泳協会があることも知り、中学1年の時に全国ろう者水泳大会に初めて出場しました。今村選手と初めて会ったのもこの大会で、その後は日本ろう者水泳協会の強化合宿に参加して、デフリンピックを目指す仲間と一緒に頑張ってきました。

東京都立中央ろう学校の廊下にて

―夢がかなってよかったですね。その夢の舞台で見事金メダルを勝ち取り、表彰台に立ったときの感想はいかがでしたか。
小学6年生の時からデフリンピックでメダルを取りたいという夢を持っていたのですが、こんなに早く表彰台に立てるとは思いませんでした。でも、実際に上がってみると、今まで長い間どんなに苦しくても練習に励んできたことが報われ、すべてが素晴らしい最高の想い出に変わったように感じました。夢を持ち続けることは本当に大切なことだと思います。健聴者だったらこのような夢は持たなかっただろうし、水泳を続けていたかどうかもわかりません。デフリンピックという目標があったから続けられたような気がします。もちろん4年後もめざします!

―デフリンピック日本代表として心がけていたことや後輩に伝えたいメッセージはありますか。
日本代表に選ばれた後の強化合宿で選手全員が監督に怒られたことがあります。それは私たちが監督、コーチ、マネージャーにきちんと挨拶していなかったことです。同じろう者の監督から手話で注意を受けたので、どうして怒られているのかその内容が良くわかり、それからは日本代表に恥じない行動を心がけるようになりました。台北現地では最年少の男子選手だったためか、のびのびとやらせていただいたように思います。その分、先輩や仲間を手伝う気持ちや行動が足りなかったように思います。これは反省点です。 後輩に伝えたいことは、夢を持ち続ければ必ず成功するときはあるということです。続いてくる後輩の皆さんとも一緒に頑張っていきたいです!

―今は東京都立中央ろう学校4年生(高校1年生に相当) ですね。どんな科目が好きで、どんな進路を考えているのですか。
もちろん体育が好きです。卒業したらやっぱり体育系の大学に行きたいです。日本選手団の旗手を務め、ハンマー投げで世界新記録を作った森本選手は筑波大学を卒業されたんですよね。文武両道がきちんと出来ていることはすごいと思います。勉強も頑張らなければと思います。

2009年11月26日 東京都立中央ろう学校にて
聞き手:全日本ろうあ連盟スポーツ委員会 大杉 豊

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