第23回夏季デフリンピック競技大会(サムスン2017)日本選手団サイトはこちらへ

「道けがれなく、道けわし」
~人生の転機、金メダルの向こうに見えたもの~

森本真敏さん(第21回夏季デフリンピック・男子ハンマー投げ・金メダル)

―このスポーツを始めたきっかけや当時の思い出を教えてください。
中3年まで野球をしていたが、高1年時、陸上競技部顧問と出会い、ハンマー投げをしてみるか?と勧められたことがきっかけでした。高体連の学年別の1年の部で大会新記録を投てきし優勝してしまったことで夢中になりました。

―このスポーツの魅力は何ですか?
記録を伸ばしていくことですね。同じことを繰り返しですが、やり続けていくことで視野が広がるし、何より自分を成長してくれますね。

―普段の練習内容を教えてください。
私の職場の聾学校で陸上競技部の顧問をしているので指導しながら一緒に動かしたり、誰もいなくなったグランドでハンマーを投げたりしています。最近は暗くなるのも早いので早朝に投げて、夜にはゴールド・ジムに通っています。

―このスポーツを続ける上での原動力を教えてください。
昨年、トルコ世界陸上競技選手権へ行くまでは「自分のために」と思っていました。でも実際、たくさんの応援や家族の支えがあって、自分の力だけではないと改めて思いました。みんなのイメージとは違うかもしれないけど、"趣味"に近い感じで楽しくハンマーをやっています。高2年時に室伏広治選手から個別指導を受けたことをきっかけに、常に追求心を持つようになりました。追求心はデフスポーツを盛り上げることに必要な力になると思います。

―デフリンピックに出場したいと思ったきっかけは何ですか?
高校2年時に初めて知りました。しかし、インターハイで優勝を狙っていたので、それほど視野にありませんでしたが、日本聴覚障害者陸上競技協会に出会い、デフリンピックに興味を持ち始めました。メルボルンデフリンピックを狙いましたが代表落選してしまいました。その悔しさをバネに台北デフリンピックは重要な意味があったのです。結果、二度目の海外試合で、世界新記録を出し、勝てたことはこれまでの中で大きな経験をしたと思います。まだ信じられないけれど、4年間のプロセスをもう一度見直して、アテネに向かっていきたいです。

―デフリンピック選手に選ばれたときの心境を教えてください。
やはり実力を認められるのは嬉しいです。当然ですが、半端ないプレッシャーがありました。日々の生活に日本のプライドがのしかかってきましたし、負けられないという気持ちもありました。日本代表選手団旗手もさせていただいたのでより勝たなければと、日本人ろう者としてプライドがありました。台北に行くとオリンピックのようなパレードや雰囲気が気楽にさせてくれました。大会運営側や台湾の方々に感謝です。逆にもし日本で開催していたら負けていたかな(笑)。

―デフリンピックの舞台に立っての感想はいかがでしたか。
やはり、だれにも負けない揺るぎのない心、勝負強さが必要。世界中のだれにも負けないトレーニング・技術を創造する必要がある。我々が聴覚障害にしかないスポーツ技術が今、このろう者スポーツの世界で必要なことだと思います。それを日本で作り上げる必要があると思います。

―デフリンピックでの裏話がありましたら教えてください。
いっぱいありますよ!それはみんなが次のアテネまで応援に来てくださればわかることですよ!!(笑) ろう文化が非常に感じられる場所です。そういう意味ではデフリンピックは我々にとって重要ですね。

―デフリンピックアスリート(デフリート)として心がけたこと(心がけていること)を教えてください。
日本からまだ出場してない競技がいくつかあります。そこが穴なのかもしれません。ろう者と健聴者を区別することなく、競技力、いわゆる実力を伸ばすことが大切ですね。区別をつけるといろんな言い訳をしてしまいますから。その競技を極めることが人間力を高められると私は思います。

―デフリンピックを目指す人へのメッセージをお願いします。
この広い世界に自分の足で立って戦える力を持ってろうスポーツ力を高めてほしいです。最終的に、自分がこの競技をしてよかったと思える日々を過ごすために、練習の積み重ねや各競技団体のモチベーションを上げていってほしいと思います。そのためにはあなたたちの力が必要です。私はこのようなイメージを持っています。あなたたちに実力を手にした時、近い将来、日本でデフリンピックを開催し、日本中を熱くしたことが、私たちのイメージを変えることになるでしょう。きっと、誰もがそれを期待していると思います。ともに頑張っていきましょう。

2009年11月19日 滋賀県立聴覚障害者センターにて
聞き手:全日本ろうあ連盟スポーツ委員会 中澤 英明

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